尾崎一雄『暢気眼鏡・虫のいろいろ 他十三篇』

晴。
昨晩は寝る前にちょっとアルゴリズム・パズルを考えだしたら大変にむずかしく、どうやっても上手くいかない。で考え続けていたらあっという間に明け方に。5時くらいにいい加減にして寝て、4時間くらいで起きる。またあとで寝るだろう。
睡眠の後始末。
昼からひさしぶりに県営プール。清掃期間が終ったのである。面倒な気分だったが、行ってみれば気持ちよかった。人も少なくて、ちんたら泳いでいるのにいい。まだ温水期間で、ちょっと水温が高めの感じなのですけれど。でも、まだ涼しい日もあるだろうからな。

Rubyローレンツアトラクタを描いてみました。

Ruby でローレンツアトラクタを描画する - Camera Obscura
Ruby には標準的な描画ツールがないのだよね。数値計算のグラフ化には gnuplot などを使うことになる。そのあたりも Python に敵わない理由のひとつだ。そもそも自分が Gem 'oekaki' なんてツールを作ったのも、自分で簡便に oekaki して遊びたいのに、なかなかいいのがなかったからだし。


シューマンの幻想小曲集 op.12 で、ピアノはソン・ヨルム。耽美的な部分はすばらしいが、全体的に迫力不足は否めない。でも半分ウトウトしながら聴いていたので、いいかげんです。あんまり寝ていないので眠い。

シューベルトの三つのピアノ曲 D946 で、ピアノはアルフレッド・ブレンデル。やはり第二曲だな。

ブラームスのピアノ・トリオ第一番 op.8 で、ピアノはジュリアス・カッチェン、ヴァイオリンはヨゼフ・スーク、チェロはヤーノシュ・シュタルケル

図書館から借りてきた、尾崎一雄『暢気眼鏡・虫のいろいろ 他十三篇』読了。尾崎一雄は初めて読む。どうして読む気になったか不明だが、ひさしぶりの発見だった。いわゆる「私小説」である。文庫の惹句に「尾崎一雄の作品には一貫して、…洒脱で爽やかな明るさがある」とあるが、このあたりが標準的な評価なのであろうか。また「ユーモア貧乏小説」という語も見える。僕はそれらを否定するつもりはないが、尾崎一雄の小説には確実に「凄み」があると思われる。これがわからなければ、尾崎一雄を読む意味はない、そんな大袈裟なことを言ってみたくなるくらいだ。それは、何事にも真剣にならない、呑気であると同時に、何事にもじつは真剣でもある男が醸し出す雰囲気であろう。この人は真剣であるがおちゃらけているし、おちゃらけているけれど真剣である。人生など放擲しているようで、一方でまともな夫・父親だったようにすら見える。小説家ではあり、人気作家ですらあったくらいだが、どことなく無名の生涯だったように見えてくる。つまりは、すごい私小説家だったのだ。僕はこれまで私小説はいまひとつよくわからなかったが、初めて手応えのある私小説家にぶつかった感じがする。いや、いい読書でした。

暢気眼鏡・虫のいろいろ―他十三篇 (岩波文庫)

暢気眼鏡・虫のいろいろ―他十三篇 (岩波文庫)



シューベルトの三つのピアノ曲 D946 で、ピアノはマウリツィオ・ポリーニ。数時間前にブレンデルの演奏で聴いた曲であるが、どうにも我慢できなくてもう一度聴いた。色いろなピアニストの演奏で聴き始めたが、どれもいまの心境にぴったりでなく、つい CD で散々聴いてきたポリーニの演奏を聴き始めてしまった。いや、ポリーニは思い入れが強すぎるので最近は聴かないようにしていたが、聴いてみると何とも複雑な気分だ。とにかくすべての音が意味づけられ、明快な構築性(もともとシューベルトに欠けているものであるが)が浮き彫りにされてくる演奏である。きわめて美しく明晰でもある。しかしそれ以上に、第二曲の底なしの深さへ平然と降りていくポリーニは恐ろしい。やはりポリーニはあまり聴かない方がいいので、危険な領域に近すぎるのだ。