こともなし

晴。
相変わらず心がすさんで調子が悪いが、夢はおもしろいものを見る。海の脇に建った建物の出てくる夢。海際の夢はこれまでも偶に見てきた。おそらく海は無意識であろう。あまりきれいな海ではなかったかも知れない。まずまちがいなくネット関連だ。
昨晩は寝る前に中沢新一の『フィロソフィア・ヤポニカ』を再読し始めた。田辺元の哲学に関する本。『熊楠の星の時間』に引き続いて読んでいる。おそろしくむずかしい。こんなにむずかしい本だったか。カントの内包量を数学の微分ライプニッツ由来)と関係づける書き出し。ここからどんな展開だったのだろう。さっぱり覚えていない。楽しみだが、とりあえず自分の能力不足に歎息したくなる。
起きてネットを見ていたら、ブログ「水に流して」が更新されていた。もちろん有名なブログであり、自分などにいうことはないが、いつもの少し苦手な華麗な文章ではなく、筆をおさえたさらりとした書きぶりで感銘を受ける。山崎昌夫という人を知ったり、また先日『やちまた』を読んだ足立巻一の詩が引用されてあったり。中村光夫に関する異様な文章については、人間何を書かれるかわからないなと思ってしまう。まあそれも、どうでもいいといえばどうでもいいので、でもそんなことをいえば万事がどうでもよくなってしまうのだが。


ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十二番 op.127 で、演奏はオライオンSQ。あまり音楽を聴きたい気分でもないが、シリーズで聴いている続きを聴いてみたらおもしろかった。この曲はたまたまベートーヴェン弦楽四重奏曲の中でいちばん自分に馴染みの薄いものであるが、それゆえに却っておもしろい。ちっとも曲が覚わらないのですね。しかしちょっとわかってきた感じ。しかしやはりベートーヴェンはすごいと(当り前だが)思う。フーコーは人間の消滅を断言したが、その意味で消滅するべき人間はまさしくベートーヴェンの体現しているところであろう。そのうち誰もベートーヴェンを聴かなくなるのかな。まあそうなのかも。

シューマンのヴァイオリン・ソナタ第一番 op.105 で、ヴァイオリンはクララ・ジュミ・カン、ピアノはソン・ヨルム。第一楽章があまりにもすばらしい。この曲はこうでなきゃという、まさにそのような演奏になっている。楽章間に拍手を入れた聴衆もよくわかっているな。第二楽章は自分の好みにはちょっとテンポが速すぎる感じ。それに、この楽章のほんのりとしたユーモアがわかっていないようだ。終楽章もいまひとつ足りない。この楽章はピアノと合わせて細かいリズムを刻むのだが、その切迫感が出ていない感じだ。これは想像だが、このヴァイオリニストは歌うのが好きで、リズムに多少の難があるのか。腕の返しがほんの微妙に遅れる感じがするが、もとよりヴァイオリン奏法について何も知らない自分なので、テキトーに言っている。なおヴァイオリニストの名前の日本語表記だが、検索してみると色いろな表記が混在しているので、とりあえずの表記を書いておいた。自分はまったく知らないヴァイオリニストだが、この演奏を聴く限り、なかなかの奏者ではないだろうか。もしかしたら知られている人なのかも。

お昼ごはんを食べながら、NHKの「ドキュメント72時間」の再放送を観る。これ、土曜日の再放送を時々観るのだが、いつも何かしらおもしろい。僕は普通人なので大した人生を生きているわけではないが、そんな大したことのない人生でも、皆んな大変なんだなとかつまらんことを考えたりして感慨深いのだ。それにしても、色んな人がいて、色んな人生がありますよ。まったく。それから、松崎ナオのテーマ音楽がぴったりだね。

昼から仕事。
何度も「川べりの家」を聴いている。何というか、泣けるというか。

AlphaGo が中国の柯潔九段に三戦全勝した。柯潔九段は最終局で涙を流したそうで、センチメンタルな言い分かも知れないがあまりいい気はしない。気の毒な気がする。中国当局もピリピリし、途中から報道をシャットアウトした。今回の AlphaGo は前回イ・セドル九段を破ったバージョンに三子で勝つ実力だそうで、呆れてものも言えない感じがする。さらに、前回は多数のコンピュータをネットで繋いで計算させた分散バージョンであったのが、今回のはスタンドアロンであり、さらに CPU の性能は前回の 10分の1 であるそう。ただしディープラーニング用の専用チップ(TPU)を使っているらしい。もちろんグーグル社はこのチップを商品化するつもりだろう。何だか本当にイヤな感じがする。別に日本のことを考える必要はないかも知れないが、日本の IT産業はついていけないのではないか。いまですら世界的に存在感が薄いのに。可能性があるのは、経営者に戦略能力があるソフトバンクくらいのものかも。しかしこれも、たんに可能性にすぎない。もー知らんけど。
もう少し書いておくか。柯潔九段は敗因のひとつに、精神的な動揺を挙げていた。最終局など、Google 側の発言を信じるなら、最初の 100手あたりまでは柯潔九段は完璧に打っていると AlphaGo は判断していたそうである。しかし柯潔九段の言うところでは、自分の予想しなかった手がすべて相手側の良手であることにプレッシャーを感じ、精神的に追い詰められていったということだ。AlphaGo には、もちろん動揺というものはない。何だか SF みたいな話が現実化したように思える。それもじつにイヤな形で。
以前に書いたことを繰り返しておこう。この成果が軍事分野に応用されるのは明らかだ。深層学習(ディープラーニング)というのは、原理的にはそれほどむずかしい技術ではない。軍事力に使うくらいなら、AlphaGo ほどのシビアな技術は必要ないだろう。ただし、ディープラーニングによる AI は、そのアウトプットが選択された理由が人間に理解できないという特徴がある。例えば、AlphaGo がどれくらい強いのか、既に開発者ですら正確には把握していない筈だ。もう何だか人類の自業自得という気がする。以上のことがおとぎばなしやウソであれば本当にいいのだが。