五十嵐太郎『日本の建築家はなぜ世界で愛されるのか』/セーレン・キェルケゴール『死に至る病』

曇。
リセット(?)して頭がバカになって何にも考えられないにゃあ。
五十嵐太郎『日本の建築家はなぜ世界で愛されるのか』読了。五十嵐先生にしてはいやにキャッチーな題だな。日本の建築家スゲーって本。個性個性個性、奇抜な建築が世界を覆っていく。自分の住むところはこんな風になりませんように。でも、今風の「個性的な」シャレオツ住宅は近所にどんどん増えていっているのだ。自然との調和も何もないが、まあ風景自体が壊れていっているからなあ。保守的かつ田舎者かつ時代遅れのひきこもりおっさんニートにはさみしいことである。

セーレン・キェルケゴール死に至る病』読了。鈴木祐丞訳。バカなことをいうけれども、これは自分がバカだからわかることであるが、キェルケゴールははっきり言って病人、あるいはキチガイである。いや、我々すべてもまた病人であり、キチガイであるが、じつにキェルケゴールはその比でない。我々はこういう人はもうそっとしておいて、遠くから桑原桑原と言うしかないのだ。いや、バカ丸出しですね。でも、例えば訳者はキェルケゴール理解と彼の狂信的なキリスト教信仰をわけて、つまりはキェルケゴールのいう意味でのキリスト者でなくともキェルケゴールが理解できるようなことを解説で書いているが、これは寝言である。キェルケゴールはそのような態度を断固否定するだろう。キェルケゴールキリスト教徒ですら、その殆どの者の人生はまったく下らないものであると確信しているし、非キリスト教徒などおぞましさの極致としか考えていない。そのことは本文に繰り返し繰り返し繰り返し強調されており、ふつうに読めば紛れようもないことだ。それはむしろ我々バカにしかわからないのかも知れない。かしこい訳者の陥っている欺瞞をみると、そうかも知れないと思う。まあしかし、自分の方がおかしいと思われるのだろうな。だってキェルケゴールの『死に至る病』といえば、世界の古典と見做されているからね。とにかく皆さん、お読みになることをお勧めする。その上で、やっぱりこんなブログの言うことなど信用できないとなれば、それはそれでいい。
死に至る病 (講談社学術文庫)

死に至る病 (講談社学術文庫)

我々東洋人は、このような段階は既に3000年前に通過したのだ(ウソ)。

ブログ「古本屋ツアー・イン・ジャパン」を読んでいたら、某零細出版社が左川ちかの詩集を出すというニュースを知る。「古ツア」さんもグラフィックを担当されているらしい。かなり高価だが、買えない値段ではない。うーん、欲しいことは欲しいが、僕のような者がもっていてはいけない貴重な企画であることは間違いないし、どうしようか…。それにしても、左川ちかはマイナー詩人ではあるが、中身があれば間歇的に出版する人が出てくるものだなあ。そういう意味では、出版の魂というのはまだ失われていないと言っていいのかも知れない。
http://furuhonya-tour.seesaa.net/article/450195545.html