ヴォルフガング・シャウフラー編『マーラーを語る 名指揮者29人へのインタヴュー』

晴。のち曇。
起きてひどい顔をしているなと思う。本を読んでいないと美容に悪い(?)。インターネットも美容に悪いし。

モーツァルトのピアノ・ソナタ第十番 K.330 で、ピアノはクリスティアン・ツィマーマン。さすがはツィマーマン。申し分がない。安心して聴ける演奏。
統合。インターネットと従来の領域を統合するのはむずかしいな。禅坊主たちなんかは何をやっているのだ。ちゃんとやらなきゃダメでしょう。

近くの川にカキツバタが自生しているので、撮ってきた。(後記:ネットで調べてみたら、これはいかにもカキツバタっぽいけれど、どうやらキショウブというものらしい。同じような疑問をもっている人が他にもいた。)

下は何だかわからない草。母の話だと外来種ではないかという。


図書館から借りてきた、ヴォルフガング・シャウフラー編『マーラーを語る 名指揮者29人へのインタヴュー』読了。なかなかおもしろかった。現代の著名な指揮者たちへの、マーラーに関するインタヴュー集である。色んな指揮者が選ばれており、いちばん感心したのはロリン・マゼールへのそれだった。マエストロの思慮深さがよくわかった。僕はマゼールマーラー録音をもっていて、それは第四番で若い頃に買ったものだが、じつは当時その演奏はよくわからなかったものである。非常に精緻なマーラーであったと覚えているが、自分の理解を超えていた。それから長いこと聴き直していないので、いま聴いたらどうかわからない。というか、マゼールは他の曲も殆ど聴いたことがない。何でも、マゼールは指揮する曲のスコアすべてを完全に記憶しているそうで(ふつうスコアを覚えているというのは、そこまでは要求されない筈である)、そんな指揮者は他にいるのだろうか。厳格きわまりない指揮者であるが、インタビューも思慮に満ちていた。
 あとよかったのは、ベルナルト・ハイティンクとかエサ=ペッカ・サロネンへのそれであろうか。共に尊敬できる音楽家である。グスターボ・ドゥダメルなんかは、無邪気な感じがおもしろかった。ちょっとそのマーラー演奏を聴いてみたい感じ。ピエール・ブーレーズはさぞかし辛辣だろうと予想していたら、思ったより常識的な対応で意外だった(笑)。ただ、何故かショスタコーヴィチを一刀両断して切り捨てているのもおもしろい。ショスタコーヴィチはその音楽語法はきわめて保守的なので、それはまったく理解できるのだけれど。彼はエドガー・ヴァレーズなど、「初歩的」の一言でドブに捨てている(笑)。
 それにしても、当然というべきか、インタビューはどれもこれもクセが強くて、読んでいてかなり疲れる。やはり西洋というのは「個性」第一の文化で、自分が他人とちがうというのはそもそも最初の大前提であり、いくら日本人が「個性の尊重」と言ってもレヴェルがちがう。実際、日本人のピアニストを聴いてみても、ちょっと聴いただけでは随分と個性が薄く感じられる。誰も彼も同じで区別がないような感じなのだ。それは最近でもある程度そうだと思う。けれども、自分は必ずしもそれがいけないとも思わないのだ。そういう道を行っても突き抜ければやはり独特なのであり、そういう文化も確かにかつてはあったと思うのである。いまではそういう仕方で突き抜ける日本人は少なくなってしまったけれど、いないことはない。それは悪くないというか、西洋人もちょっとはそれを見習ってもいいような気もするのだけれど、その日は永遠にこないことであろう。

マーラーを語る: 名指揮者29人へのインタビュー

マーラーを語る: 名指揮者29人へのインタビュー