村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

晴。
すごくおもしろい夢を見ていて寝坊した。殆ど覚醒に近い状態で見ていたので、よく覚えている。何と若くて金持ちの女の子と結婚する夢で(笑)、願望充足も甚だしいと思われるかも知れない。まあそうなのだが、自分としては階級間ギャップに自分がどう対応するかという夢で、それが大変におもしろかった。ちなみに女の子はまったく会ったことも見たこともない子で、それはどこから来たのかわからない。まったく夢というのは奇妙なものである。それにしても幸せな(?)夢でした。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第六番 op.18-6 で、演奏はアンフィオン弦楽四重奏団。初めて聴くカルテットだが、いま正確に判断する能力を欠いているけれど、きびきびしていいベートーヴェンだと思った。この曲、好きなのです。

メンデルスゾーン交響曲第四番 op.90 で、指揮はグスターボ・ドゥダメル。僕はドゥダメルはよく知らないのだが、これを聴くと力のある指揮者であることはまちがいないようだ。ただ、これだけではまだよくわからない。なお、この動画は音質があまりよくない。


リストの「巡礼の年:第一年〜スイス」で、ピアノはアンドレ・ラプラント。ラプラントというピアニストは初めて聴いたが、これは名演だ。ベルマンやブレンデルの録音にも劣るまい。そもそも僕はこの曲が大変に好きなのだが、長い上に複雑難解で、集中力を保たせるのがいつもなかなかむずかしいのである。この動画では演奏に応じて楽譜が映し出されるので、これはとてもありがたかった。You Tube 独特の聴き方といえるだろう。僕は楽譜をそのまま音にできるわけではないので、参考に見ているだけであるが、この曲の複雑さには驚かされた。「オーベルマンの谷」など、初めて全曲を集中して聴けてよかった。僕にはこれは聴いただけで全体を理解するのは無理である。リストという人は確かに派手なだけの曲も書いたが、この曲のように極度に内省的な、いわば「前衛的な」曲も書いていておもしろい。いや、いい「音楽鑑賞」(って変な日本語だが)でした。
え、この曲って村上春樹の小説に出てくるの? その「多崎つくる」云々の小説、三日前に BOOK OFF で買ったのですけれど。どうりでコメント欄で皆んな Haruki Murakami とか言っているわけだ。しゃあない、この小説、読んでみるか。

夕方、某スーパー備え付けの自動プリント機で旅行の写真をプリントする。意外と画質がよくて驚いた。以前使っていたイオンの中の写真屋のプリントよりもきれいかも知れない。
村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』読了。ラスト以外はすばらしい小説だった。惹き込まれて二時間ほどで読んだらしい。簡単にいうと「死と再生」の物語ということになるのだろうが、むしろエンタメ的お話として優れた出来だと思った。主人公のフィンランドのエピソードでは、思わず感極まってしまったほどである。僕は先入観としては村上春樹は好きではないようだが、実際に読んでみるといつもアンチ村上にはなれないと思う。それくらいおもしろいのだ。
 以下、ネタバレになるので、それが嫌な人は読まないで下さい。まず、ラストが気に入らない。前にも書いたが僕はお話はよほどでない限りハッピーエンドを求める単純な人なので、この曖昧なラストには納得できない。正直言って、著者は主人公に対して充分過酷だったと思う。著者は全能であるにせよ、主人公に与えられる試練はヒドすぎる。というような苦情はアホな苦情なのですが、どうもそういいたくなるくらい多崎つくるに与えられた試練は悲惨である。これがむくわれない筈はないと思いたいのであるが、やはり村上春樹も「ハッピーエンドは物語を壊す」という小説観の持ち主らしい。
 それから、「シロ」の遭遇した事件はわけがわからないのだが、「シロ」の対応の理由が結局最後まで説得的でない。どうして主人公がこんな悲惨な仕打ちを受けなければならなかったのか、まるで理解できないのだ。また、「灰田」のエピソードもまったく宙ぶらりんである。これも主人公は解決せねばならないと考えるのだが、結局そのままである。「緑川」のオカルティックな挿話も機能していない。以上、プロットとしては破綻していると言わざるを得ない。たぶん、著者にもこれはコントロールできないのだろう。
 最後にリストの「巡礼の年:第一年〜スイス」についてであるが、なかなか上手く使われていると思う。ただ、自分がとりわけ好きなのは主に前半で、今日のエントリの最初に書いたとおり、後半は自分にはかなりきついのであって、本書で重要なのは(後半である)第八曲の「Le Mal du Pays」なのだった。あとで聴いてみよう。

しかし、村上春樹は名古屋に何か怨みでもあるの? かなりヒドい書きっぷりなのであるが。まあ東海地方というのはつまらない地域であると我ながら思うが、それでも他人からひどく書かれるあまりいい気はしない。そんなに東京がすばらしいのですかね。まあ田舎者にはわからないことだが。
いま思うと、この小説は異性愛の小説であるような体裁だが、根底ではホモセクシュアルの領域に深く関係があるように感じる。「灰田」のエピソードが完全にそれであろう。そして異性への嫌悪と、去勢の恐怖が根底にあるような気がする。精神分析的に深読みし過ぎかも知れませんが。ラストの曖昧さはもしかたらそれに関係があるのかとも思う。となると、ラストはじつはアンハッピー・エンドであり、主人公は二度と立ち直れないのかも知れない。何だか魂が冷え切っていくような話ですが。そう思うと、「緑川」のエピソードが極めて死に近いというのも納得されるようで、主人公の命もここまでなのか。ヒドい読みだなあ。