赤川学『これが答えだ! 少子化問題』/『ヴァルザーの詩と小品』/四方田犬彦『クリティック』

晴。
大垣。厚着をしていると車の中は暑いくらい。ミスタードーナツ大垣ショップ。

赤川学『これが答えだ! 少子化問題』読了。これはおもしろかった。著者は12年前に『子供が減って何が悪いか!』という新書を出しているそうであり、本書はその続編ということになるようだ。本書も前著もキャッチーな題名であり、またその題名からあまりよいニュアンスを感じ取られない方もいるであろう。僕は前著は読んでいないが、本書では非常に考え抜かれた議論が展開してあり、まさしく少子化問題に関する新書の決定版になるかもしれない。まあそれはわからないが、とにかく本書の結論を無理矢理一行で言ってみよう。いわく、「日本の少子化は、それに積極的に取り組む限り、止めることはできない」である(笑)。それはどういうことなのか、対策を立てねば止められないだろうと、まあふつうそう思うよね。これだけ知ってもらってあとは本書を読むのがいちばんいいのだが、そして議論はなかなかむずかしいのだが、簡単に書いておこう。まず、事実として、金持ちも貧乏人も「子沢山」である。つまり社会が二極化すれば子供は増えるのであり、それは典型的にはアメリカである。一方で、中間層は社会的に上昇志向的であるため、その結果として出産を抑制する傾向にある。これが典型的なのが日本なのだ。そして、現在の少子化対策は中間層の生活水準を上げようとするものであり、これはさらに出産の抑制につながるということになる。これらは本書で様々のデータによって論証されていていて、否定することはなかなかむずかしいようだ。
 実際に色いろなデータが出ている。例えば女性が働きやすくなれば子供は増えるか。データからは否と出ている。男性が育児を手伝えば子供は増えるか。これも否である。総じて、中間層の生活水準の向上によって出生率は低くなるのが事実である。一般的にいって、少子化は「子供が育てにくい」せいで起きているのではない。端的に、結婚したくても結婚できない人(特に男性に該当する)が増えたために、子供が減っているというのが事実である。さらに本書で恐ろしい事実が証明されている。結婚したい男性が結婚できなくなっている理由は、女性が結婚相手として、自分より社会的・経済的に上のクラスの男性を選ぶ傾向(ハイパガミー)が強くなっているからだというのだ。これを聞いて皆さんはどう思われるか知らないが、僕は「今頃そんなことがわかったと言っているのか」という風に感じた。何をいまさらというものである。女性のハイパガミーは現代日本に限られたものではないが、現代日本でそれがきわめて強くなっているのは自分の実感に合致する。もちろんこれに納得しない方もおられるだろうから、そういう方は実際に研究されるとよいと思う。どのような事実がわかろうが有用であろうから。
 とにかく少子化を食い止めたければ、アメリカ的に中間層を壊滅(?)させればよいようだ。しかし、そういう社会が住みやすいかはまた別である。著者は、少子化は防ぐことはできず、それを前提として社会設計すべきであるという。せめて、無駄な税金の投入は防ぐべきであると。実際、少子化対策が実行されてきていても、事態はまったく改善せず、むしろ悪化しているという事実は無視しようがない。まだ効果が上がっていないのだ、そのうち効いてくるということもないとはいえないので、ある程度経っての検証が必要であろう。といっても、本書はその検証でもあるのだが。それくらいに、少子化対策が立てられてきたのは最近のことではないのだが、実効していないのだ。
 しかし思うが、理想的な相手でなければ、いや、自分より上か最低でも同じランクの相手でなければ、女の子たちは結婚したくないのだ。これはまちがいなくそうである。それは別にいけないことはないので、子供が減っても仕方がないではないか。我々はそれを選んだのだ。

なお、日本でフランスのようにすればよいとか、北欧を手本になどの議論が盛んに行われていて、そういう議論を正しく行うための考察が本書にあって有用だ。それから、出生率の問題は国という単位だけではなかなか尽くせず、いわゆる「都会と地方」の問題も大きいことを付記しておこう。またさらに、少子化問題は「結婚とは、人生とは何か」という大きな問題にまでリンクしている。むずかしいわけだ。
それにしても、「生活期待水準」という概念はおもしろい。それはわれわれがどういう「豊かさのレヴェル」の生活を望むのかということで、それは時代によって大きく変動するし、またそれは他人の生活期待水準によっても(「見栄」などにより)変化するという複雑なものである。そして、一度生活のレヴェルを上げてしまえば、元の(低い)水準に戻すことは非常にむずかしいのだ。自分の子供たちのランクの向上によって自分たちのランクも上昇するという通念もあり、中流階層は子供の数を制限してリソースを有効活用しようとする。そのあたりが、少子化問題に強く効いてくるわけだが、それはまさしくいまどきの「人生観」そのものではないか。なるほどと思わせられる。

山形浩生さんのブログの最近の「アマゾン救済」の一連の投稿、すごいな。「アマゾン救済」ってのはアマゾンのレヴューでリジェクトされたものをここに載せているということだろうが、山形さんは知識人であるのに気楽に実名でアマゾンのレヴューを書かれる方で、またそれが最高レヴェルの出来なのだからさすが。それはここで見られるとおりである。僕は山形さんはじつはあまり好きではない、というかレヴェルがちがいすぎて近寄りがたいし、立派過ぎて苦手なのである。でも、こういう人こそエリートというべきで、しかも貧乏人や弱者のことまできちんと考えてくれる、口先だけでないエリートなのだ。僕は山形さんの嫌いな中沢さんや浅田さんみたいな人が好きなので、山形さん的にはお話にならないタイプの人間ではあるが、真に人のためになることをし、そしてそれでダメにならないという人を、リスペクトしないわけにはいかない。ま、若い人たちはそういうことによく気づいていますけれどね。

図書館から借りてきた、『ヴァルザーの詩と小品』読了。飯吉光夫編訳。下らなくて甘ったれた本。もちろん文学など下らなくて甘ったれていてかまわないものなので、一向に問題はない。しかし、これって「大人の本棚」なの?
ヴァルザーの詩と小品 (大人の本棚)

ヴァルザーの詩と小品 (大人の本棚)

図書館から借りてきた、四方田犬彦『クリティック』読了。著者30歳のときの本だという。1984年刊行。いまとなっては殆ど無意味な本をいまさら読んだことになったが、思えば自分はこういう本を大量に読んできたものだ。読んでいて自分の過去と出会った気がした。いまの若い人が読んだら嫌悪するだろうし、それは正しい。四方田犬彦はそのかしこさをじつに無駄に使ったと思うが、まあよいではないか。それにしても、いまやかかる本を恥ずかしさを感じずに読めるようになったとは、老人化したか。このような本がいまだに図書館の開架にあるとは、驚きである。無意味なものを発掘した考古学者の気分である。
クリティック (冬樹社ライブラリー)

クリティック (冬樹社ライブラリー)