家族で祖父江砂丘へ/B・マリノフスキー『未開社会における性と抑圧』/川上未映子&穂村弘『たましいのふたりごと』

晴。
最低最悪のところからは脱出したようだ。
音楽を聴く。■バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第三番 BWV1005 (シュロモ・ミンツ参照)。■ラフマニノフ:ロマンス、ワルツ、ロシア狂詩曲 (リーリャ・ジルベルシュテイン他、参照)。ロマンスは最初ピアノ協奏曲第二番第二楽章のアレンジかと思った。しばらくするとちがってくるけれど。■ボロディン弦楽四重奏曲第二番 (ボロディンSQ、参照)。ボロディンって人はちょっとちがうな。確信犯で土俗音楽をやっている。何ともすばらしい。チャイコフスキーなんかは(言い方は悪いが)ボロディンを一生懸命通俗化したわけだ。そうそう、ボロディンって科学者としても一流だったらしいのよね。すごい人だ。■ニーチェマズルカ、Aus der Czarda、Heldenklage、So lach doch mal、Da geht ein Bach、Sturmmarsch (ミヒャエル・クリュッカー、参照)。前にも書いたとおり、アイデアだけで展開力がない。シューマンの亜流というしかない。でも、きれいな音楽。まあ、あのニーチェの書いた曲というくらいの価値しかないが、それでもいいではないか。それから、じっくり聴いているとちょっと病的なところを感ずる。言葉では説明しにくいが。やはりニーチェはスキゾフレニックな気質だったのではないか。■プラッティ:フルート・ソナタ第四番イ長調 op.3-4 (パウル・ウォールベリ、参照)。伴奏はこれ何だろう。リュート? シンプルだけれど、音楽はこれで充分という気もする。若い人たちバロック音楽を好んで聴くというのも、わかるように思う。

仕事が延期になって時間ができたので、家族で愛知県の「サリオパーク祖父江」というところへ行ってきました。サリオパークなどとしゃらくさい名前がついていますが、要は「祖父江砂丘」という木曽川の作った河畔砂丘一帯に拵えた公園ですね。わりと広い敷地になっていて、今日はいい天気なので家族連れなどが結構きていました。木曽川の流れがきれいで、雪を頂いた伊吹山などがクリアに見えたり、河川敷の林も手が入れてあったりして、なかなかよかったです。野鳥も豊かというのですが、時期が悪いのかヒヨドリツグミくらいしか見かけませんでしたけれど。往復でおおよそ 3時間、54.7km の道のりでした!





B・マリノフスキー『未開社会における性と抑圧』読了。マリノフスキーはたぶん初めて読む。フロイト批判の書ということであるが、それはむしろフロイトに対するリスペクトゆえにであることを間違えてはいけないだろう。マリノフスキーは単純な「エディプス・コンプレックス普遍主義」に異を唱えているだけで、人類にとって性というものがいかに重要であるかを否定したわけではない。トロブリアンド諸島民においては「エディプス・コンプレックス」における父親の役割がなくなるわけではなく、それは実質的に母の兄弟、つまりおじが担うことになる。その意味で、精神分析を否定するものではない。ただし、西欧流の「性の抑圧」が普遍的なものであるかは疑問視される。実際、トロブリアンド諸島民にあって性はむしろ「開放的」であり、ゆえに性の抑圧による神経症の発症などは見られることがない。これもまた、逆の意味で西欧における神経症の起源に関するフロイト理論の有効性を示したともいえるだろう。日本もまたかつては「性の抑圧」がほぼなかった文化をもち、明治以降、西洋文化の全面的な導入によって却ってそれがもたらされたことになる。まあこんなことを書いていると切りがないのでやめるが、さすがにおもしろい本でした。ちくま学芸文庫にはさらなるマリノフスキーや、ラドクリフ=ブラウンなども期待したくなる。

未開社会における性と抑圧 (ちくま学芸文庫)

未開社会における性と抑圧 (ちくま学芸文庫)


図書館から借りてきた、川上未映子穂村弘『たましいのふたりごと』読了。78のあらかじめ用意されたキーワードを枕にした対談集。いやー、笑った笑った、川上さんもエッセイなど爆笑できる人だが、穂村さんの爆裂パワーがすごすぎる。あまりにも変人すぎて腹の皮がよじれるくらい笑わされた。しかし、僕は穂村さんはすごい才能だと思うけれど、実際に会ってみたならたぶん合わないという気がする。むかついて殴ったりするのではないか(笑)。いずれにせよ、(川上さんも詩人だとして)詩人という人たちの存在のおもしろさを堪能させてくれる読書だった。詩人は少しづつでも世界を回復させる存在なのだと思う。