矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』

晴。暖かい。
昨晩は明け方までプログラミングをしていた。RubyOpenGL の簡易ライブラリを作り直しすのに熱中してのことである。四時間くらい寝てからまたずっとやっていた。以前はいいかげんにしかわかっていなかったのだな。で、また夕方までずっとやっていた。阿呆だなあ。
もう一度 Ruby で OpenGL してみる - Marginalia

図書館から借りてきた、矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』読了。母から廻してもらった本。これはかなりおもしろかった。既に知っていることも少なくなかったが、本書の価値は事実の探求だけでなく、その(学者でないという意味での)素人の大胆さをもってラジカルかつ論理的に思考しているところである。本書でいちばん驚いたのは、日本が少なくともアメリカに対して主権国家ではないということは、それはもちろん自分は事実であると考えているが、説得的な形で論理的に「証明可能」であるということだ。その論理は意外と簡単であるから、ここで示しておこう。まず、国の「憲法」と「法律」と「条約」の関係であるが、ほとんどの学者が一致していることに、その優先順位は高い順に「憲法」「条約」「法律」なのである。意外に思われるかも知れないが、「条約」は「法律」の上にくるのである。ここまでからしても、例えばアメリカ軍の飛行機が日本国内に墜落しても、法律レヴェルではそれに対処する方法がないのは当然のことだ。そういう条約(「協定」も含む)をアメリカと結んでしまっているからである。いやしかし、憲法がある、それは条約や協定の上位にあるのだから、憲法の名で主権を守ることができるだろうと思われるであろう。いやまたしかし、なのである。形式的にはそれは正しいが、じつは田中耕太郎という最高裁長官により、日本国憲法によって条約が違憲であるという判断を下すことはできないという判決が下され、確定してしまった(p.44)。これが有名な「砂川裁判」である。つまり、事実上は日米安保条約日米地位協定が日本国の最高法規と同等のランクにあることがわかる。ゆえに日本は、少なくともアメリカに対しては主権国家ではない。Q.E.D.(証明終)。
 本書の読むべきところはまだたくさんあるのだが、あと一二だけ挙げておこう。本書を読んでいて思うのは、論理的には憲法改正は必須で、これを論破することはきわめてむずかしいということ。自分などはサヨク微温主義のぬるま湯に浸かってきたので、憲法改正というのは考えるべきことが無限に増えて大変で、めんどうくさいと思ってしまうのだが、やはりこれは少しずつでも考えていかないとなと痛感させられる。それから、国連(これは著者のいうとおり、英語で言うと「連合国」ということである)の「敵国条項」のことは知っていたが、これも根の深い問題なのだなあということ。それに関して自分の奇妙に納得したのは、アメリカにとって日本は「同盟国&属国」というよりも、むしろ「同盟国&潜在的敵国」なのではないかという著者のつぶやきだった(p.231)。これはまさに目からウロコの類で、そう考えると解けてくる問題がたくさんある。この考え方はこれから自分の思考の座標軸のひとつになるだろう。
 おもしろいのは、著者の言っていることが空想ではなく、特にアメリカの公開されたれっきとした公文書などで、その多くがきちんと実証されているということだ。これまたおもしろいのはそれらは特に秘密でも何でもないのに、日本ではほとんど誰も知らないという痛快さである。まったく日本人というのは、こうなるとバカであると言わないほうがおかしいくらいのものである。僕にはこのあたりがクリティカル・ポイントなのであると思われるのであり、本来フェアを重んずるところのアメリカ人が、どうしてかくも日本に対し、政治的には「友人」とはほど遠いアンフェアな態度を取るのかという疑問の答えにもなっていると考える。つまり、アメリカ人は、日本人をリスペクトすべき「人格」であると見做していないのだ。それは確かだと思われる。

そうそう、忘れていた、本書には「原発」の話もあったのだった。アメリカ軍は日本の原発に対して攻撃訓練を行っている可能性が高いという推測もおもしろかったが、ちゃんとした事実でちょっと驚いたのがあったので、ささいな話だが言及しておく。大気汚染防止法はもちろん日本人の健康のために制定された法律であるが、その第二七条一項にこうあるそうである。「この法律の規定は、放射性物質による大気の汚染およびその防止については適用しない」。にゃんこ。