川上未映子『ぜんぶの後に残るもの』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:フランス組曲第一番 BWV812、第二番 BWV813 (マレイ・ペライア参照)。■スカルラッティソナタ K.102、K.103、K.104、K.105、K.106、K.107、K.108、K.109、K.110、K.111、K.112 (スコット・ロス参照)。K.106 あたりから、スカルラッティスコット・ロスなのかはわからないが、ちょっと変化した感じがある。それにしても、スカルラッティからこれほど得るところが多いとは。
曇。時雨れる。昼から県営プール。行きに鵜飼い大橋で事故をやっていて、渋滞していた。追突みたい。プールは、寒いせいか水温が高くしてあって温かかった。

mathnb さんが

一体センター試験の問題作成者及び関係者は、ご自分で制限時間の中で実際に解いたことがあるのでしょうか?そして例え解けたとしても、これを満足できるものとお考えでしょうか?
受験生が昔に比べ、格段に増加しているとはいえ、採点をコンピュータ任せにしてしまう現行の試験は何か大切なものを見失い、多大なエネルギーを若い受験生に無理強いしている気がしてなりません。

これ(どこからの引用?)について何か意見を言えとのことですが。もちろん特に数学についてということでしょう。職業柄センター試験を解く(解かされる)経験があったのですが、時間内に満点を取る自信はないですね。時間が倍あればたぶん解けると思うのですが、あれだけの時間で満点を取るとなると、すべての問題を流れるように遅滞なく解いて、時間ギリギリというところではないでしょうか。正直言って、時間内で満点を取るのは問題作成者でも簡単ではないと思います。それにマークなので、答えの写し間違い(これは意外とよくあります)は 0点だし。受験生に負担だというのはそのとおりでしょう。
僕は受験勉強はわりと出来た方だったのですが、あれは一種の職人芸なので、伝承されるワザを知っているかどうかで随分とちがいます。そういうワザを伝授するのが予備校の類ですね。最近は高校もそんな風潮に適応しています。自分も仕事でそういう風潮を助長する輩ですね。慙愧の至りというべきでしょうか。
しかしまあそれよりも、大学を勉強するところにすべきでしょうね。いや、今の学生たちはマジメで、大学でも高校のときと同じように先生のいうとおりしっかり勉強するのですが、それも高校のときと同じでテクニックを身に付けているのです。勉強なんて自分でするものなので、大学側のやるべきは、学生が猛勉しようが遊んでいようが、全部単位なんて出してしまうことだと思いますね(暴言)。でなければ、アメリカでのように、誰でも受け入れるけれど勉強の適性のない奴は卒業させないようにするか。そのいずれががベストだと思うのですが、日本ではもはやどちらも永遠に無理でしょう。
それから、アメリカの大学は一度ドロップアウトしても何度でも戻れるのですよね。実際、若い時に休学して十何年も経ってから復学するなんてのはザラだそうです。日本ではあり得ませんね。
数学が好きか? それは自分でもわからないですね。ただ、何にせよわかると楽しい、できるとうれしいということはありますね。僕は知っていることは少ないので、知らない広大な世界を見てみたいという気はあります。そのために例えば外国へ行くという手もあるだろうし、あるいはふとんの中で数式をいじっていてもいいわけでしょう。

散歩してドラッグストアに寄る。あんまり安いので笑えてくるくらい。今度 9円の焼きそばを食ってみるかな。9円のうどんでもいいけれど。

図書館から借りてきた、川上未映子『ぜんぶの後に残るもの』読了。雑誌のコラムをまとめたもの。こういうことを言われるのはもしかしたら腹が立つのかもしれないのだが、いい意味でいうので。僕はこの人は変人だと思うのだが、その変なところがとってもキュートだ。「変人」というのはよくないので、独特の感性をもっているというべきかも知れない。で、その「変さ」がゆるやかに哲学の方向へ向かって行ったり、あるいは爆笑(関西人!)の方向へ行ったりと、そのあたりもやっぱり変っている。この人に与えられる爆笑は、同じ関西人でも町田康とはどこかちがうね。町田康は天才だが、川上未映子ナチュラルというか、天然なのだな。こんなに笑えるのに、写真で見ると鋭い感じの美人で、それも納得できたりする。僕と同い年の阿部和重の奥さんになっているのだが、阿部和重うらやましいっす。というのは冗談だけれども、この人は詩はいまではあまり書かないようだが、資質としては詩人に近いのだろうな。どこか自分にはわからない遠くから言葉が湧き上がってくるのを感ずる。

ぜんぶの後に残るもの

ぜんぶの後に残るもの