こともなし

雪。積もるまで降ったのはこの冬初めてだ。
また結婚する夢を見る。でも、それほど強い願望充足というわけでもない感じだった。さほどかわいくもない女性だったのだけれど(もちろん会ったことなどない)、電子工作が好きで、家は食べ物屋をやっているという、謎の設定だった。時代はちょっと昭和の雰囲気がした。そういえば商店街もあった。まったく、自分の中に何が入っているのか、わからないものである。


ハイドンのピアノ・トリオ Hob.XV:16 で、ピアノはエミール・ギレリス、ヴァイオリンはレオニード・コーガン、チェロはムスティスラフ・ロストロポーヴィチ。初めて聴く曲だと思うが、初期ベートーヴェンみたいないい曲である。というか、ベートーヴェンの方がハイドンを真似ているわけだが。演奏は皆大家たちで、それがじつにふつうの演奏なのがとてもよい。ロシアの大家たちは概して作為が少ない印象。


ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第十七番 op.31-2 で、ピアノはアナトリー・ヴェデルニコフ。いわゆる「テンペストソナタである。とにかく見事な演奏であるが、この動画の視聴回数が400回に達していないのを見ると、人間の一生って何なのだろうと思う(大袈裟ですか?)。ヴェデルニコフは確かにソ連当局に睨まれ、国外でほとんど知られていなかったピアニストであるが、それでも相当数の録音が残っていて、You Tube でもたくさん聴くことができる。(自分なども発掘中である。)どう考えても、録音が残っているピアニストの中でこれまで最大級(おそらく五本の指に入るであろう)の存在なのに、これほど聴かれていないとは。ヴェデルニコフの生涯とは何だったのか? 録音がかなりの数残っているのだけが救いである。それにしても、音楽のわかる人の少なさに驚かされるといえば、傲慢すぎるであろうか。しかし、浅田さんなどはとっくに評価されているのだが、ヴェデルニコフを。


ハイドンのピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.XVI:37 で、ピアノはクリストフ・エッシェンバッハ。第一楽章はまるでお転婆娘のようにチャーミングな曲。第二楽章が一転シリアスなのが不思議な感じ。エッシェンバッハは概してコントロール感の強いピアニストだが、ハイドンではそれがいい方に出ているのではないか。
 

 
中沢さんの新刊が三冊も出ている! そのうち二冊は既に二箇月も前に出ているのだが、まったく知らなかった。どこにも言及されていなかったし、本屋にも入らない。どうなっているのだ。しかし、それが現実なのだな。僕はいまという時代が何だかおそろしい。

いや、そんなに大袈裟な話ではないのだろう。自分のアンテナが錆び付いていて気づかなかっただけだ、たぶん。


夜、仕事。