高橋源一郎『動物記』 / 細野晴臣の新譜『Vu Jà Dé』を聴く

曇。
12時間くらい寝た。さらに睡眠の後始末は大変なのだけれど、心が軽くなったのはラク。もう布団から出たくないのは廃人ですね。寂滅したい。

ロザリン・テューレックの弾く、バッハの平均律クラヴィーア曲集第二巻第十五番(BWV884)〜第二十四番(BWV893)を聴く。

J.S.BACH: the Well

J.S.BACH: the Well


夕方、図書館。外を歩いていると、いまの自分が「室内で、PC を前に座っている」というのに最適化されているのを感じる。色んな意見があると思うけれど、自分は自分がそれでいいとはちっとも思わない。外へ出て、もっと無意識を涵養しないといけないと思う。いや、いま外は寒いですけれどね(笑)。

というわけで散歩してきました。もう日没ですけれどね。

 

図書館から借りてきた、高橋源一郎『動物記』読了。短篇集。すべて(ではないか)動物を扱ったという点では共通しているが、かなり多様な小説たちから成っている。冗談みたいな、軽くてポップなものもあれば、フィクションなのか疑われる、深刻なものもあった。けれども、底流しているものは似ているような気もする。「現代」を直接描いたような小説はないが、それでもここにあるのは現実、それもほとんど絶望的な現実なのだと思う。もはや、「現代」はこんな形で描くしかないのではないか、そんな気もする。いや、そんなに深刻に受け取る必要はないんじゃないかと、言われるかも知れない。そうかも知れない。ただ、本書では自分には二篇、読んでいて泣けてきたものがあったことは記しておこう。別に高橋源一郎の小説に「泣き」を期待する筈もなくて、たんに自分がセンチメンタルであるからかも知れない。どうでもよい。

動物記

動物記

かの小説が源一郎さんの本音だとして、源一郎さんは本当に誰にも見とられずに、ひとりで死んでいきたいのであろうか。自分は孤独死する可能性が高いと思っているのだけれど。そういえば、吉本さんは家族に愛された人だったが、偶然の事情で孤独死だったともいえる。特に意味はないけれど、そんなことを思い出したりしている。

細野晴臣の新譜『Vu Jà Dé』を聴く。
カバー曲を入れたディスクと、オリジナル・アルバムの二枚のディスクから成っている。順番どおり、今日はカバー曲を入れた方を聴いた。いや、マジカッコいいですね。思わず全曲を繰り返して聴いてしまった。自分はポピュラー音楽は知らないので、これらカバー曲たちも一曲も聴いたことがなかったが、変な話だけれど、クラシック音楽にまったく聴き劣りしない。別に、クラシック音楽に比してポピュラー音楽を低く見ているとかまったくないつもりだけれど、とにかく本当にすばらしかった。たぶんこれからもポピュラー音楽を本格的に聴くことはないような気がするけれども、このディスクをこれから何回も聴くことは確実だと思う。いやー、オリジナル・アルバムの方を聴くのが楽しみになってきた。

これこそ偏見かも知れないが、ポピュラー音楽はうるさいのが多くて、そういうのにはどうもごまかされている気がして仕方がないところがあるのだけれど、このディスクにはまったくそういうところがない。ライナーノーツ(充実している!)によれば、モノラル録音を意識したとのこと。音が悪いというわけではないのだけれど、素朴な感じが効果的だ。といってプリミティブな方がいいというような信仰はないつもりだけれど。

 

ショパンのバラード第一番 op.23 で、ピアノはクリスティアン・ツィマーマン。