千葉雅也『勉強の哲学』

晴。

大垣。ミスタードーナツ 大垣ショップ。ホット・スイーツパイ りんごとカスタード+ブレンドコーヒー360円。モーニングセット安いですね。おいし。Linux 本を読む。
帰りに県図書館に寄る。午前中だとだいぶ空いているのな。計算機科学の理論書が読みたいのだが、思うようなのがない。吉本さんの全集やレヴィ=ストロースはこのところ my定番。

図書館から借りてきた、千葉雅也『勉強の哲学』読了。副題「来たるべきバカのために」。ちょっと前に話題になった本である。本書はいい本だと思う。非常にわかりやすく、論理整合的に書かれている。議論も(自分には)独創的だと思われる。「勉強とは、来たるべきバカに変身することである。」カッコいいですね。若い人は本書をお勉強して、お勉強することをお勉強するといいと思う。
 ところで、いま自分が書いているのは(もちろん自分の)ブログであるので、まあわたくしのこともちょっと書いておきますね。わたくしは全然本書のように勉強していないのです。ああ、だからダメなのかな。本書には最後に便利な(著者自身による)要約までついていますが、ここには例えば「勉強とは、何かの専門分野に参加することである」(p.220)とあります。自分がかなり意図的にやってきたのは、一切の専門分野を作らないということでした。著者が専門分野にこだわるのは、生産性と独創性と有用性を重視するからでしょう。これらのすべてを、わたくしは意図的に追求しまいとさえしてきました。いやはや、ではどうして本など読んで、お勉強する意味があるのか? さて、自分にもよくわかりません。たぶん、自分の一生は著者的にいえば無意味なものになるのだろうと思われます。どうも、マネなんかするものではないようですね。ふふ。
 それにしても、「勉強は自己破壊」「勉強するとノリが悪くなる」「ツッコミとボケによる『コードの転覆』」「アイロニー、ユーモア、ナンセンス」「環境のノリから自由になる」等々。いや、キャッチーでカッコいいですね。ほんと、カッコよくなりたい人は、マジで本書をマネするといいですよ。まあ、おっさんはもう手遅れですから、好きにやらせてもらうというか、それしかできないですけれどね。

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

それにしても、著者の「勉強」は手堅い。石橋を叩いてわたるかのように慎重で、自分には臆病にさえ見える。これは、基本的にアカデミシャンの勉強法である。そりゃそうだ、著者は東京大学大学院を出て、ドゥルーズ哲学を研究する大学の先生なのだから。著者はつまり、アカデミシャンの方法こそが「勉強」だと言いたいわけである。入門書から専門書へいくべし。いきなり「古典」を読むな。そして一般書すべてを警戒せよ、とある。これが今風なのだな。よくわかる。