曇。
風邪はだいぶ良くなった。まだ鼻はちょっとぐずぐずいわせていますが。
ひさしぶりにアルゴリズム・パズルを解く。Ruby で遊ぶのはやはりすごくおもしろい。ゲームは苦手なのだが、プログラミングは好きである。
で、検索などしていたらちょっとおもしろい問題をみつけた。問題はシンプルである。こんなのだ。
8リットルと5リットルのふたつのバケツを使って1リットルの水を最短手順で川からくみあげて下さい。
http://www.ic-net.or.jp/home/takaken/pz/index3.html
わかりますかね。多少考えないと解けないと思います。これを Ruby で解くのが愉快だった。ここに顛末を記してあります。答えもそちらにありますので確認してみて下さい。
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いまや「日本スゴイ」の大合唱ということであるが、そうなの? 自分のほっつき歩いているネット界隈では全然そんなことないのだが。自分の気分としても、「日本スゴイ」の正反対の感じである。バブル世代としては、日本の凋落ばかり見えるのだけれど、それが事実でなくてじつは「日本スゴイ」なら結構な話だ。まあ、事実としてはたぶん自分の感覚が正しいのだと思われるが。中井久夫氏は「かつて日本人は無名のひとが偉かった」というようなことを仰ったが、いまやその反対になりつつあると思われる。まあ、そんなことはどうでもよい。いや、よくないのかも知れないが、好きにしたらよいのだ。
これもどうでもよいことだが、日本の問題として少子化*1は確かにそうだけれども、これはもはや対策はほぼ不可能なので、どうしようもない。外国人労働者のさらなる導入*2、非労働人口の労働人口化、AI による労働力の補完などに頼るほかあるまい。それだけでなく、日本の大学乃至学術の崩壊がたぶん問題だろうな。文科省がやってくれたことに、日本の学術(特にまだまともだった理系)が地に落ちる日が(このままだと)不可避である。これもまあ自分にはどうしようもないことである。日本人の優秀な学生が中国へ留学する時代が、このままだとさほど遠くない。バカなパヨクの脅し? そうだとよいね。
日本人が事実に向き合えなくなっているのが、いちばんの問題なのだろうな。これももはやどうしようもない。まあカスなりに、自分にやれることだけやろう。
「日本スゴイ」やるか。戦前の日本。踊り狂っている。
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『楽園への道』を読んでいる。半分くらい読んだ。言語道断な通俗エンタメぶりがすさまじく、じつにおもしろくなってきた。特にゴーギャンの描写の大袈裟な通俗ぶりにはあきれるくらい。ロマン派のパロディのような誇張された「芸術」観は本気で書いているとは思えない。これ自体まちがってもお上品な「芸術」などではないと言わざるを得ない。続けて読もう。
ここで紹介されている本はいまのところ読む予定がないけれど、リンクされている山形さんの訳者解説の pdf は読むといいのではないかと思う。わかりやすいし、勉強になりますよ。ビットコインってダメなのかーと認知いたしまして、よく知らなくて情弱だなあと思った次第。しかしこのところ山形さん、このブログを長いことお休みであられたが(という印象だったが、それほどでもなかったのか)、お忙しいのであろうなあ。翻訳しすぎじゃねとも思ったり。ちがうか。
しかし、当の山形さんの文章を読んで判断するのだが、なんでこの程度の本(ってよく知らないですけれど)を山形さんが訳さないといけないのか。こんな本に(ってしつこくも知らないけれど)何か意味あるの? それなりに需要があるのか、必要性があるのか。ビジネスとして訳しているということか。って読みもしないのにカスが余計なお世話ですけれど。やはり翻訳というのは何であれどんどん出た方がいいのかなあ。自分にはよくわかりません。
自分はこのところ本屋の新刊書から図書館へ比重が移ってきているのだよね。お金がないせいもあるし、手持ちの本をあまり増やしたくないせいもあるけれど、それ以上に自然な変化でもある。閉架の本も含めると、どうも図書館(特に県図書館)の本の方に魅力を感じるようになってきた。とても買えない本もたくさんあるし。それに、本屋よりも図書館の方が落ち着く感じでもある。ウチの最寄りの本屋はとてもいい本屋で、ちょっと奇跡的にうれしい本屋なのですけれどね。確かにここがつぶれたら困るから、本屋でも買うけれど。
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マリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』読了。田村さと子訳。文庫版で600ページに垂んとする大部の小説であるが、読み終えるまでは寝られなかった。まさしくパワフルで野蛮極まりない、ノーベル賞受賞者などにさせておくのはもったいないくらい生きのいい作家の「エンタメ」である。あーおもしろかった。一応画家ゴーギャンと、その祖母であるフローラ・トリスタンを扱った歴史小説の体裁は取っている。著者の力点はフローラの方にあったようで、自分はまったく知らなかったが、彼女は一種の左翼活動家であったらしく、本書にみられるようにまことに数奇な生涯を送ったという。しかし思うが、本書は基本的に想像のたまものですね。通俗エンタメ的におもしろすぎますわ。というように自分は本書をいわば冒涜的に、勝手な仕方で読んだが、これを正義の物語りと見做してはつまらなすぎると思う。まあ著者には怒られるかもしれないが、あんまりマジメには受け取れなかった。「フローラ=聖女」なのかね。まあ自分もそこそこマジメな人間であるとは思っているが、こういうファナティックな「正義のひと」は、感動はさせられるけれども、論理的に自分は受け付けないのである。また、一方のゴーギャンの方であるが、バルガス=リョサの「芸術」観をマジメに受け取るべきなのか、あまりにも大袈裟すぎてかなわない。バルガス=リョサは、赤瀬川原平さんでも読むといいと思う。まあ西洋人の芸術観一般にも自分はあまり浸れないのであり、とにかく「ロマン派的天才」的な芸術観というのは、さすがに現在ではやめてもらいたいと思う。それこそいまはポストモダン(死語)なのだから。しかしとにかく、野蛮なパワーのドライブは大したものであり、芸術はちんぽなのか精液なのか知らないが、そのあたりは言行一致でありますなと感嘆した。ひたすらおもしろかったです。
- 作者: マリオバルガス=リョサ,Mario Vargas Llosa,田村さと子
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2017/05/08
- メディア: 文庫
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