pha『ひきこもらない』

晴。


モーツァルトのピアノ・ソナタ第十八番 K.576 で、ピアノはフリードリヒ・グルダ。これはすばらしい。これまで聴いた中で、この曲の最高の演奏だと思う。音楽の喜びに満ち溢れている。また装飾音の生きていることといったら! 他の凡庸なピアニストたちはグルダを聴いて拳々服膺するとよい。もう、録音状態が悪いのが残念でたまらない。


バッハのピアノ協奏曲第四番 BWV1055 で、ピアノはシプリアン・カツァリス、指揮は Yoon Kuk Lee。好演。

昼から図書館。ミスタードーナツ バロー各務原中央ショップ。ポン・デ・リングブレンドコーヒー。ここは明後日で閉店なので、たぶん今日が最後。粗品(?)でかわいい弁当箱をもらった。どうしようか知らん。pha さんを読む。おもしろいな。pha さんは自分と全然ちがうのだけれど、ブログも愛読している。いまの時代とシンクロしているひとりだろう。才能があるなあ。

pha さんもたまたま書いておられたけれど、あまり混雑していなくて落ち着ける店っていうのは、つまりは流行っていないということだな。なかなかうまくいかないものである。


図書館から借りてきた、pha『ひきこもらない』読了。pha さんは本当に文章がうまい。そしてどの文章も、いまの時代の最先端とゆるやかにシンクロしている。pha さんについては少し紹介が必要だろうか。ネットをよく見ている人なら知っているだろうが、pha さんは以前は「日本一のニート」などと呼ばれることもあった。二〇代で会社を辞め、そこから色いろふらふらしながらシェアハウスを作り、その自由な生き方が注目されて有名になった人である。でいいですかね?(笑) いまは本を書いたりまあ何だかしたりで自活しておられるから、「ニート」というのはおかしい。最近の pha さんのツイートでは「仕事しすぎ」みたいなのがあったくらい。以前はよく pha さんのブログのコメント欄に、そんな生き方をして将来どうするのだとか、色いろお説教を書く人が絶えなかった。pha さんの活動(?)は、「ふつうの人」のような生き方ができない、社会をいわば「ドロップアウト」するしかない人間がいることを世に知らしめてきたと思う。そういう人間だって生きていていいし、楽しくすら生きられるということを示したのだ。本書を読んでいると、お金があまりなくとも、考え方次第でこんなに人生楽しめるのだということに驚かされる。本当にささいなことで人は楽しめるものなのだ。これは「悟りの道」ではないかとすら思ってしまう(笑)。まあそんなことを言わなくても、いまの息苦しい世界を楽しめるものにするという、無限の叡智が詰まった、本書はそういう本である。
 それにしても pha さんの筆の力はすごくて、本書の「冬とカモメとフィッシュマンズ」と「京都には世界の全てがあった」の二つの文章を読みながら、涙を抑えるのが大変だった。どちらも既にネットで読んでいるのだが、再読してまた感動させられてしまった。pha さんはいまは東京に住んでおられるが、大学生活は京都で、この二つの文章はそれに関係している。付記しておけば僕も大学は京都で、pha さんは僕よりちょうど一〇歳年下の後輩ということになる。pha さんからヘミングウェイを孫引きしよう。「もしきみが幸運にも / 青年時代にパリに住んだとすれば / きみが残りの人生をどこで過ごそうとも / パリはきみについてまわる / なぜならパリは / 移動祝祭日だからだ」(福田陸太郎訳)。まさしく pha さんにとっても僕にとっても京都は、ヘミングウェイの言った「移動祝祭日」だったのだ。pha さんも僕も、拙いささやかな青春時代をそこで送ったのであり、おそらくそこから出たとき、我々の青春時代は終ったのだと思う。

ひきこもらない

ひきこもらない