クロード・レヴィ=ストロース『はるかなる視線 1』 / 吉田秀和『セザンヌ物語』

曇。
寝過ぎ。何でこんなに寝たのだ。

1652夜『ポピュリズムとは何か』ヤン=ヴェルナー・ミュラー|松岡正剛の千夜千冊
松岡正剛ポピュリズムについて書いている。松岡正剛は措いて、確かにいまはポピュリズムの時代かも知れない。ポピュリズムという言葉には、大衆はバカで、政治家がそのバカに迎合するというニュアンスがある。その典型例がトランプ大統領だろうが、トランプとなると既に迎合してみせる政治家がどうしようもないバカだと見做される。
 さて、では現在どうしてポピュリズムが問題になるのか。昔から大衆はバカだったのではないのか。残念ながら、そういったことの解明はバカな自分の能力を超えている。昔とのちがいはなにか。自分がふと思うのは、いまは大衆が権威を信じなくなったことである。それはいいことではないのか? さて、どうなのか自分は知らない。とにかく、我々は皆んなバカだと知っている。バカなのは自分だけではない。いや、自分だけはバカでないのかも知れないが。で、ネットは明らかにその傾向を強化している。それが現代であるように思われる。
 そう、権威はなくなり、専門家に取って代わった。誰でも或る分野では専門家であるのが現代である。汎用的な知性というものは信じられなくなった。そして、ネットの集合知がそれに代っている。って、僕は集合知ってよくわからないのですけれど。Wikipedia みたいなのが集合知というなら、別に集合知など大したものではない。ではツイッター集合知? そう、それならちょっと興味ぶかい。ツイッターは現代の「全能の神」なのかも知れない。ツイッターは信仰されている。トランプ大統領が好きなのもツイッターである。

僕もツイッターは好きだ。ツイートはしないし自分のタイムラインは見ないが、まつもとさんのツイートはほぼ毎日見る。楽しい。

図書館から借りてきた、クロード・レヴィ=ストロース『はるかなる視線 1』読了。前にも書いたとおりレヴィ=ストロースはとてつもない秀才なので、読みこなすのは自分にはむずかしい。しかし、この人は本当にもののわかった人なのだ。どうも僕は、偉大なる野蛮人・レヴィ=ストロースが好きになった。この人は油断のならない文章家で、さらっと(バカにはわからないように)本音をいうので、常に気をつけていないといけない。それにしても(繰り返すが)秀才だな。西洋の知識人にはいわゆる「文系」と「理系」の双方に通じた秀才が少なくないが、レヴィ=ストロースほどその双方の行き来が自由にできる人はさすがに少ない。レヴィ=ストロースというと数学の「群論」を人類学的知見に適用したことが有名だが、本書を読むと例えば脳科学の知見にも相当に通じておられることが窺え、驚いてしまう。脳科学を人類学に適用したのか、それとも人類学を脳科学に適用したのかわからなくなるほど、その往還は自由だ。いや、もちろん人類学者なのだけれどね。
 レヴィ=ストロースはまた筆も立つ。そもそも我々は脳内にある思考の多面体を文章化するのに、文章を書くとはどうしても時間的前後があって、つまり全体を一挙に提示することは不可能で、それゆえ未熟な自分などはちっとも文章が論理的に展開できないのだが、レヴィ=ストロースは論理的に語るのがうまい。ここでも秀才なわけだ。それがまた同時に野蛮人であるとは、どういう結合的奇跡であろうか。「構造主義」というと一般に抽象的で知的であるばかりであると思われていて、例えば柄谷行人さんもそんな風にレヴィ=ストロースを捉えておられたが、それでは少し理解が浅いと思う。レヴィ=ストロースはまず第一に野蛮人であると、ここで何度も強調しておこう。

はるかなる視線〈1〉

はるかなる視線〈1〉

レヴィ=ストロースと比べると、ドゥルーズすら格好つけに数学を使っているようにも見えてしまうのだよなあ。クリステヴァなんかは、完全にハッタリだし。そういやクリステヴァって、もう誰も読まないよね。そんなことない?

なお、レヴィ=ストロースの「群論」だが、これはアンドレ・ヴェイユ(20世紀を代表する最高の数学者のひとりである)の協力を仰いでいる。レヴィ=ストロースがひとりでやったわけではないので、よく知られていることではあるがいちおう注記しておく。

しかし何で俺ってこう「かしこい」とか「バカ」とかばかり言っているのか。自分でもやなんだが、結局それは時代と深く通底しているからしようがない。「どうせわたしってバカだからカンケイないし」と「お前らバカは死ねや」っていう時代じゃない? いまって。極論するともはやそれしかない。

ああ、忘れてた、「かしこいオレについてこい」ってのもあるね。
 
是非上のリンク先の記事を読んで欲しい。現在の日本の大学が陥っている危機的状況がレポートされている。こんなものは氷山の一角だ。じつはもう手遅れに近い。ほとんど知られていない事実なのだが、本当なら選挙でいちばんの争点になってもおかしくないことである。それが放置されているのが現在の日本なのだ。

文部科学省は日本の学問を崩壊させようとしている。無知とは恐ろしいものだ。

吉田秀和セザンヌ物語』読了。文庫本で 600ページに近い大著。

セザンヌ物語―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)

セザンヌ物語―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)