町田康『バイ貝』 / 石牟礼道子&多田富雄『言魂』

休日(秋分の日)。晴。
よく寝た。しんどいときは寝るに限るのだが、それにしても寝過ぎかな。あんまりいい目覚めでもない。それから、何か単純な電子工作キットみたいなものを作ったのか、それが出てくる夢を繰り返し見た。昔の電子工作キットで、表示はシンプルな LED の点滅で数字だけ表せるというやつである。どうしてこんな夢を見たのだろう。


武満徹の「そして、それが風であることを知った」で、フルートはロバート・エイトキン、ヴィオラはスティーブン・ダン、ハープはエリカ・グッドマン。武満徹がまだよくわかっていないことがわかってきた。


ベルクのヴァイオリン協奏曲で、ヴァイオリンはアンネ=ゾフィー・ムター、指揮はロリン・マゼールニューヨーク・フィル。ベルクは確かに前衛ではあったのだけれど、まさにロマン派の延長上にあってほとんどロマン派という感じがする。この曲も、ほとんどロマンティックとすらいえる。

図書館から借りてきた、町田康『バイ貝』読了。

バイ貝

バイ貝

 
ホントにどうでもいいのだけれど、自分の妻のことを「嫁」って呼ぶ最近の風習、あんまり好きではない。ってじつにまったくどうでもいいよね。

昼から仕事。夕食後、ブラタモリを見る。

夕食のときに見ていた NHK のニュースで、「将来日本人はノーベル賞をとれなくなる?」という題で、日本のノーベル賞受賞者たちが警鐘を鳴らしているのを報道していたが、今ごろ何を言っているのかという感じ。このブログでも先日少しだけ書いたが(参照)、もうほとんど手遅れに近い。それでも、正しい方向に一刻も早く戻すのに、早すぎるということはない筈である。僕はもはや日本の学術がどうなろうがそれほど興味はないが、日本の学術の崩壊がよくないことだと思っている人が仮にいるとするならば、(何とかできるものならば)早く何とかした方がいい。学術の崩壊は必然的に、日本の国力の低下を加速する。僕がこういっているのが、何の根拠もない情弱の誤った認識ならば、どんなにかよいことであろう。僕はそれを期待する。

それにしても、再度書くが、日本という国は何がしたくて大学をこんな風にしてしまったのか。そう思うと、自分はやはりまだ日本の没落する姿を見たくないのだなとわかる。そりゃ、日本が最高に輝いていたといわれる80年代に育った世代だからな。しかし、その我々の世代に人材の出ていないことといったら、何なのだろう。もちろん自分も下らぬ人間であるし。何だか申し訳がない気がする。

図書館から借りてきた、石牟礼道子多田富雄『言魂(ことだま)』読了。往復書簡集。何というか、言葉が出ない感じ。内容についても、自分の能力では書きようがない。多田富雄先生はもちろん世界的な免疫学者であるが、能に深い造詣をもっておられた。2001年に脳梗塞で倒れられ、その後の政府の「リハビリ打ち切り制度」に烈火のごとく憤怒されて、病身をおして激しく抵抗された。しかし、いまだにその制度は続いている。また、病を得てからも新作能を書き続けてゆかれた。2010年死去。
 石牟礼道子氏はもちろん『苦海浄土』の著者である。現代ではほとんど死滅した、古代的感性の持ち主とでもいうか。いわゆる「チッソ」や国の水俣病に対する欺瞞を世に知らしめたのも周知であろう。これらのような二人の往復書簡として、本書の深さは自分などには計り知れないものである。ただ深く感じられたのかどうか、ただそうであることを祈るのみである。まさしく「言魂」とはそのとおりというか、お二人とも渾身の力を込めて書いておられる。これを読めば、現代が本質的にどういう時代であるのか、1000年規模の単位で知ることができよう。それにしても、お二人がこれほど現代を直視しながら、生きる力を失われなかったのはすごい。いまの時代にあってまともな感性をもった人間なら、生きる力を奪われない方がむしろおかしいくらいである。自分の鈍感さを恥じるが、それにしてもいまの子供たちを見ていると、もはや魂の密度が薄いような気がする。お二人の認識しておられたことが、既に現実化してきているのはまちがいないように思われる。

言魂

言魂

しかし、こんなことばかり書いているけれど、自分は多少マジメではあるが、決して暗い人間ではないと思っている。日常生活では笑うことも少なくないとも思っている。しかし、世の中の99%の人はこういう暗い事実と向き合いたくないようなので、そこらへんはちょっと書いておこうと考えているだけだ。まあ、それはほとんど無意味であるとは知っているものの。ほとんどの人には「なにくだらねーこと言ってんの」だよね。否定はしません。自分が絶対に正しいとも思わないし。

反安倍派のみなさん、解散はまたとない「大義」を問うチャンスです
上の記事で田中秀臣先生が、古谷経衡氏の発言として以下を引用しておられた。

大義がない、党利党略だ、と言ってもこれが選挙。今解散すれば、自民党単独で270くらいは行くだろう。公明党と合わせれば300超で大勝利。これが選挙なのだ。こうやって冷徹に勝ってきたから安倍1強は実現している。情でも理でもない、票読みなのだ。選挙で勝つのが権力の源泉のすべてなのだ。

https://twitter.com/aniotahosyu/status/909586633556615169

僕は数日前に下らないことを書いたが、それはまちがっていたと思う。上の古谷経衡氏の発言は完全に正しい。政治とは確かにそういうものだ。自分は理性では完全にそう思う。共産党の小池書記局長の言っていることが矛盾しているのも田中先生の仰るとおりである。

それなのに、そのような「正しさ」に感情的に納得できない自分がいる。どうも、自分は政治のことを考えるのに向いていないのだ。「選挙で勝つのが権力の源泉のすべてなのだ」という事実が、何か奇妙な感じがするのが抑えられない。

以上のこととはまったく関係がないが、ひとつ考えついた。「こいつひとりを殺せば、死ななくてもよい1000人を救うことができる。もちろんこいつには何の罪も落ち度もないけれどね。さあ、お前、こいつを殺せ」といわれたら、ためらいなく、あるいはためらいつつ殺す人間が正義であろう。しかし、自分はどうもそれに納得できないのである。そういう人間は、政治を語るべきではないのであろうか?

やはり自分は確信する。自分は論理が絶対であるとは思えない人間なのだ。最終的に感情で判断する人間なのだ。いま解散する自民党はさもしいし、安倍首相は下らない政治家としか思えない。田中先生の仰っていることは屁理屈とも思えてしまう。やはり田中先生は正しいが、それがわかっていても田中先生は自分はきらいだ。まったく自分は下らない人間である。

それから、僕はアベノミクス(というよりリフレ政策)はいまでも基本的に正しいことを確信している。その点でも田中先生は正しいと認める。そしてこれは、感情的にも納得しているのだ。

【魚拓】対北朝鮮、対話と圧力どちらを重視すべき? - Yahoo!ニュース 意識調査
北朝鮮に対しては対話よりも圧力をかけるべきという人の方がはるかに多いのだな。へー、もう好きにしてくれという感じ。