こともなし

夜。
阿房列車してきたあとで元気があるのでちょっと書くが、いまの若い人たちと接していると、皆んないい子たちなんだが精神が荒涼としている。アニメとマンガとゲームと、インターネット・コミュニケーションがあるだけという感じ。もちろん色んな人がいるので、飽くまでも自分が知っている限りということに当然なるのだが、会ったあとは自分の心が凍っているような気がする。他人の立場になってみるということが苦手で、共感能力が低く、自分がカスだと思っている人間に対してなど、言っていることは間違っていないとは僕も思うのだが、まるで虫けらに対するかのような冷徹さ。悲惨な状態にある人間に対しても、まちがっても自分がそうなるなどとはまったく考えない。そもそも興味なし。等々。
 まあこれは多少誇張しているのかも知れないが、どうもこんな感じを受けてしかたがない。正直言って僕などは「そっち」に属しているようなものだが、学歴(とまあ有り体にいえば実力)のせいで、そうではないような模様であり、まだマシなカスなのであろう。まあ、僕らの世代くらいからそんな風になってきているような気もするので、驚くことはないのであるけれども。日本人も変わりますよ、ホントに。全然将来を楽観致しませぬ、わたくしは。
インターネットの荒涼もこれだなーと思います。カスが生きづらい時代。カスだって人間なのにな。僕はカスだって生きていてもいいと思う。
坊主の卵たちよ、修行することはいっぱいあるぞ。いまこそ大乗仏教が必要な時代なんだぜ。唯識なんかもてあそんでいるヒマがあったら、カスになりきってみろや。
しかし、充電しなくてガンバッテもダメになるだけだな…。よくわかりました。

近いうちにまた阿房列車しよう。今度は近鉄養老線の大垣から北の部分か、それとも名鉄尾西線を使って弥富まで行くか。ワクワクするなあ。名鉄全線踏破はやってみたい。ほとんど乗っていないので楽しめるし、そんなに膨大でもないが短くもないので、これなら自己満足しながら自分にもできそう。名鉄もここ一〇年くらいで一気に廃線が増えたので(岐阜県内は特にたくさん廃線になった)、乗れるうちに乗っておきたい。
前回阿房列車をやったのは四月だったのだな。近鉄養老線で大垣から桑名まで乗ったのだった(その日の日記)。

南方熊楠を読む。