『吉本隆明詩全集3 日時計篇II(上)』/岡崎武志『ここが私の東京』

晴。
悪夢というのではないのだが、精神的に貧しい夢を見る。まあ、現在掘り進んでいる領域が貧しいのは仕方がない。しかし、舞台が学校、それも中学か高校というのは何なのか。嫌な夢だった。現実の中学高校時代はわりと平穏で、大学時代が大変というか、好き勝手なことをやっていただけ反動も大きかったのだが。
バッハのパルティータ第三番 BWV827(バーナード・ロバーツ、参照)を聴く。どうでもいいことを書くけれど、この曲には個人的な思い入れがある。僕が中学生のとき、テレビで松田優作の「探偵物語」のシリーズを観ていたのだが、その最終回、仲間たちが次々に「組織」に殺されていくところがあった。そこで、探偵事務所で仲間のひとりが死んでいるのを松田優作が目の当たりにしているシーンに、このパルティータ第三番のサラバンドがバックに流れていて、自分の中で忘れられない場面になっている。もちろんそのときはバッハだなどとは気づかず、チェンバロの物悲しい響きが印象的であっただけなので、後年この曲を初めて CD で聴いたとき(たぶんグールドの演奏)、ハッとしたのであった。
 僕は恥ずかしながらこの「探偵物語」にかなり影響を受けた気がするのだけれど、これと同じ題名で、松田優作がまだ子供みたいな薬師丸ひろ子と共演した映画もあった。話はテレビのそれとは何の関係もない。ストーリー自体はじつにどうでもいいものだった筈である(よく覚えていないくらい)。しかし、後年松田優作へのインタビューで読んだのだが、映画のラストの空港の場面で、松田優作薬師丸ひろ子がキスを交わすシーンがあって、そこで薬師丸が自ら舌を入れてきたということがあったらしい。もちろんそんなのは台本にあるわけがないのだが、それを読んで薬師丸もなかなかやるなと思った覚えがある。
 思えば、自分の十代のうち、山下達郎松田優作開高健の三人には、何か共通の影響を深く受けたようである。さてそれがよかったのかどうか、いまではどうもよくはわからないが、そういうものだったのだからどうしようもない。ただ、そういう人たちはいまではあまりいなくなったなとは思う。
 さても自分はいまや松田優作の死んだ歳を既に超え、そのうち開高が死んだ歳にも近づきつつあるが(さほどではまだないか)、何という者にもなったわけでもない。しかしそれは、特にどうということもない。十代の終わりの頃の自分はいまの自分の境遇を予想していなかったし、それを知れば驚いただろうとは思うが、そんなに悪くないじゃんと思うのではないかとも予想される。いや、ホントかな。

音楽を聴く。■バッハ:管弦楽組曲第三番 BWV1068(カラヤン 1964)。現代の軽快でスポーティなバッハと、これはまたまったくちがうそれである。何という大時代的な構えかと思うのだが、時々これが無性に聴きたくなってしまう。僕はアンチ・カラヤンのいうこともわかるのだが、根が古くさいせいで、アンチにはなれそうもない。たっぷりとした響きに浸り尽くす。■フランク:交響曲ニ短調 (ヘレヴェッヘ参照)。この曲は大変にこってり系なのであるが、ヘレヴェッヘはかなりあっさり目。自分はこの曲は苦手な方なのだが、しかしこの演奏でやはり名曲であることが納得された。今度はもっとこってり目ので聴こう。

肉屋。スーパー。所詮ハードボイルドは無理なわたくし。
夕方、驟雨沛然。このところ毎日だ。
図書館から借りてきた、『吉本隆明詩全集3 日時計篇II(上)』読了。何も感想を書かないでしまおうと思っていたが、ひとつだけ。三浦雅士による解題に大きな違和感を覚えたことを記しておく。自分はこの初期詩篇たちは、「思想家吉本隆明」を理解するためにあるだけで、それ以外の価値がないとはまったく思わない。また、吉本隆明は「情緒的」でなく、彼にとって「論理の貫徹」がすべてであったとも思わない。敢て肯定形式で書けば、吉本隆明の論理には常に感情による深い裏打ちがあったことは明らかであり、それは我々には吉本の弱点であるどころか、それだからこそ現在においても吉本隆明を読む価値がある所以だと主張する。三浦雅士は、いちばん肝心なことが読めていないように自分には思える。まあ、三浦雅士はどうでもいいのであるが、吉本隆明への典型的な誤解であるように思われたので、滑稽にも書いてみた。

自分には吉本隆明はいまでも読めるし、感銘も受ける。それが何故だかは知らないが、不思議にもそうなのである。自分は己の滑稽さをさらに追求するつもりだ。
吉本隆明は東洋人(アジア人)なのである。それだからこそ、我々にとって吉本さんは重要であり、いまでも読むに値するのだ。どこかのあさはかな西洋かぶれとはちがう。そのことを吉本さん自身、きっちりとわかっておられたことは明白だ。

図書館から借りてきた、岡崎武志『ここが私の東京』読了。『上京する文学』の続編。やはり自分の興味がある、開高健富岡多恵子、というよりはパートナーだった池田満寿夫の話がおもしろかった。それから岡崎さん本人の話も。僕も「上京」はしたが、それは京都にであって、東京にではなかった。東京には友人が何人もいたので、これまで何度訪れたか知れないが、住もうと思ったことは一度もない。特にあこがれもない。たぶん、ここまま田舎住まいで終わるのではないかと思う。
ここが私の東京

ここが私の東京