こともなし

晴。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第二十一番 K.467(ペライア参照)。ペライア二度目の録音。たぶん指の故障の後だと思うが*1、故障してよかったとはもちろん言わないけれど、さらに音楽が深くなったのは確かだろう。■ハイドン:ピアノ・トリオ ハ短調 Hob.XV-13 (トリオ1790、参照)。フォルテピアノのペコペコした音にも慣れるものだな。既にあんまり気にならない。■プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第八番 (リヒテル参照)。1960/10/23 Live. 僕自身リヒテルのこの曲の録音を聴くのは三種類目だが、これも凄まじい演奏だ。正直言って、この曲でリヒテル以上に巨大かつデモーニッシュな演奏をするということは想像がつかない。そして確信したのは、これがプロコフィエフの最高傑作のひとつであるということだ。それにしても、アンコールで終楽章をもう一度弾くとは、リヒテルは何を考えていたのかね。たぶん、表現欲みたいなものがはちきれそうで、我慢ができなかったのであろう。神業を二回続けるとか、信じられんし。たぶん、聴衆にとっては一生に一度の大演奏会になったことだろうと思う。

スーパーでどうでもいいものを買う。県図書館。
労働して一日終わり。

敬愛する或るブログが林達夫氏を扱っているのを読んで、懐かしくてその「新しき幕開き」を読み返してみた。いま読んでも、馬鹿者たちの心底を見透かした、透徹した文章だと思う。思い出すに、学生の頃は林達夫氏は自分のヒーローのひとりであった。明晰で典雅な文章、深い学識、そのダンディズム、つい真似がしたくなったものである。そして悲しいことに、それ以来、自分の中で林達夫氏のポジションは知らず知らずゆっくりと下がっていった。いまでも自分は林達夫という人に深い敬意を抱くが、もう氏の文章を熱中して読むことはないであろう。これは堕落であるかも知れないが、自分には已むを得ぬことであった。ちなみに、このブログの「オベリスク」というのは、林達夫氏の若い頃のペンネームのひとつだった筈で、それから取ったものである。一時期ブルクハルトに熱中したのも(読めもしないくせにレクラム文庫を買ったりした)、まったく氏の影響というしかない。往時を懐かしく思い出す。

*1:この録音は1990年のもので、指の故障は1992年らしいから、どうやら故障の前のようだ。ペライアの成熟は、指の故障とは必ずしも関係がないようである。故障の後は、特にバッハを録音している。