池辺晋一郎『ブラームスの音符たち』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:ハープシコード協奏曲第五番 BWV1056(キプニス、マリナー、参照)。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第十四番 K.449 (ペライア参照)。■マーラー交響曲第二番「復活」 (バーンスタイン NYPO 1963)。うーん、どう書くべきかな。まず全体的には、バーンスタインマーラーに合っていると思う。以前にも何回も書いたが、このマーラー全集は画期的なものであった。ただ、僕がこの曲で特に好きなのは第三楽章と第四楽章「原光」なのであるけれども、バーンスタインが多少強引なのが気になる。どうも乗り切れないのである。それから、これはバーンスタインのせいではないが、若い頃はそうも思わなかったのだけれども、終楽章がいくら何でも長すぎるでしょう。ラストへ向けて盛り上がっていくように書かれているが、勿体のつけすぎというか、ちょっとくどい。最後はパイプオルガンにグロッケンと、あまりにベタすぎる。まあこれは、こちらも意地悪な聴き方をするようになってしまったかも知れない。と色いろ書いたが、基本的には悪くないです。今でも聴けるものだと思う。で、ちょっと話はズレるが、ニューヨーク・フィルって、二流オケの中でも下の方だね。弦の潤いのなさは特に気になる。(たぶん NHK交響楽団の方が上手い。)でも、若きバーンスタインの下では元気いっぱいのヤンキーどもというか、意外と悪くないのだよなあ。今では NYPO って殆ど録音を見かけないのだけれど、これは自分が知らないだけなのかも知れない。

昼から県営プール。肉屋。
これからの日本の雇用形態は、正社員をできるだけ減らし、実務の大部分は派遣社員で済ますということになっていくだろう。というか、「これから」というよりも、既に日本の雇用の相当な部分がそれに近くなっている。それは地方公務員でもそうなってきており、聞いた話だが、岐阜県は教員として「講師」をどんどん増やしているそうだ。「講師」というのは、正教員と同じ仕事をするのだが、給料その他が低く抑えられている存在で、まさしく派遣社員と同じである。これは日本経済が弱くなったことや、また労働者を搾取して当然という経営者の認識の一般化によるものであろう。たぶん将来は、日本も低賃金で働ける外国人労働者を多数受け入れることになると思う。そして、日本人の間での所得格差が、ますます大きくなっていくことはほぼ確実である。それが「世界標準」になるということだ。現在、エスタブリッシュたちの先導で、「格差」は悪いことではなく、むしろよいことだというプロパガンダが(アカデミズムとメディアの双方で)進行中である。これもまた「世界標準」なのだ。「新自由主義」というのはまさしくそれに他ならない。興味がある方は調べてみるとおもしろいと思う。
なお、アメリカは格差がよいものとされる国であるが(新自由主義の本場である)、例の「トランプ旋風」は、アメリカ人の多くがその事実に耐え切れなくなってきているのが原因のひとつであろう。アメリカ人は既存の政治家にウンザリしているのだ。なにせ、虫歯になっただけで中流階級から下層階級に転落してしまう国であるから。そして、一旦下層階級に転落したら、そこから抜けることは不可能に近い。また、アメリカは信じられないくらいバカげた「訴訟社会」である。本当に常軌を逸している。そして弁護士というのが民衆を搾取しているも同然である。ひどい国だ。
それにしても、トランプが大統領になったら、中国は喜ぶだろうなあ。

図書館から借りてきた、池辺晋一郎ブラームスの音符たち』読了。最初に断っておくが、著者は高名な作曲家であり、本書はアナリーゼの本でこそないけれども、楽譜が頻出し、楽譜に沿って話が進められていく。だから、楽譜が(音楽家の言う意味で)読めないと本書は正確に読めないのであるが、安心されたい、僕も楽譜は読めません。知っている曲ならなんとか楽譜を追える程度で、それでも本書はとてもおもしろかった。だいたい本書は(もちろんブラームスの)ヴァイオリン・ソナタ第一番から始めるわけだが、そこで池辺先生は第一楽章冒頭の旋律を「史上最高の旋律!」と断言されて憚らないのである。これで僕はいっぺんに嬉しくなってしまった。僕もこのセンチメンタルな曲が大好きで、まさにその旋律を聴くと胸が締めつけられるような気分になる。僕には、これぞロマン派という気がするのだ。さらに池辺先生は、ブラームスはメロディメーカーであるとか、未来を向いた作曲家であるとか、通説に真っ向から反対する意見を述べられるのであり、一々もっともであると頷かざるを得ない。でも本書は堅苦しい本ではまったくないので、誤解なきよう。楽しく読めて、しかもブラームスが聴きたくなってくる好著だった。本書はシリーズ本の一冊で、他の作曲家についてのも是非読んでみたい。