大塚英志『「おたく」の精神史』

晴。
いきなりリアルな話で申し訳ない(?)けれども、安倍首相がこのところ盛んに「同一労働同一賃金」を唱えていることを御存知だろうか。僕は反安倍の立場の人間であるが、もしこれが実現できれば、安倍首相はまさしく偉大な首相であったということになるであろう。「同一労働同一賃金」というのは文字どおり、同じ仕事をすれば(立場にかかわらず)同じ賃金がもらえるということで、もしこれが実現すれば、(もちろんすべてではないが)多くの問題が解決するだろう。つまり、例えば派遣社員であろうが正社員であろうが、女性であろうが男性であろうが、同じ仕事をすれば同じ給料が貰えるのであるから。しかし、である。本当にこんなことが、この日本で可能であるのだろうか。今の日本は、国が事実上率先して正社員を減らし、派遣社員に(劣悪労働条件下で)安く仕事をさせる方向に向かわせているくらいなのに。こんなことは、僕などよりも実体験で知っておられる方が多くいらっしゃるであろう。だいたい日本は、労働時間のきちんとした規制すらない。いや、週40時間があるではないかという方がおられるかも知れないが、あれは残業代を支払えば関係のないザル規制なのであり、いったい先進国でそんなことのまかり通る国がどれくらいあろうものなのであろうか。日本では、残業代さえ支払えば労働者にどれだけ働かせても違法にならないのである*1。これも僕などよりよく知っておられる方が殆どであろう。そしてさらに云えば、フルで残業代が出ればまだマシというくらいなのではないか。さて、安倍首相は口先だけでなく、本当に実行できるのであろうか。そして企業側がそれを許すのであろうか。じっくり見させてもらおうと思う。
 なお、当然のことであるが、「同一労働同一賃金」は年功序列制を破壊する。まあ、それでなくても既に破壊されつつあるけれども。僕は年功序列制にはいいところもあると思う。けれども、世界がひとつの市場になった今では事実上維持することはむずかしいし、それよりも同一労働同一賃金の方がフェアであり、メリットも大きいと思う。しかし、自分は労働問題の専門家ではない。専門家の間の議論では、なかなか簡単なことではないようだ。でも結局は、国民の選択・決断の問題なのだと思う。国民的な議論が必要であろう。

昼からガソリンスタンド、米屋。王将で生餃子を買う。
2016年春・初夏_101何だかプランターミニトマトがやたらと成長するのですが。日差しが強いせいかなあ。ぐぐってみると一箇月くらいで肥料をやれということなのですが、そんなにデカくしてどうなるのかなあ。それともどこかで成長が止まるのか。そうそう、花も咲き出した。

大塚英志『「おたく」の精神史』読了。副題「一九八〇年代論」。本書の元本は講談社現代新書で、2004年に出版されている。自分はそれを所有していて確かに読んだ筈だが、中身は殆ど覚えていない。まったく新しい本のように読んだ。なかなかおもしろく、考えさせられるところも多かったけれども、いちばん印象に残ったのは、どうも文学を読んでいるかのような感覚である。読めば誰でもわかると思うが、大塚英志は極めて偽悪的であり、ひねくれていて、かつ不愉快な文章を書く。その「不愉快さ」が、まさしく文学的なのだ。つまり、大塚英志その人が「文学的存在」なのである。もちろん不愉快なだけでは本が出るということはあり得ないから、氏の複雑な批評的思考能力の高さが存在することは当然である。
 今回読んでいて気づかされたのは、著者にとって「成熟」がイデオロギーになっているということだ。それゆえ、著者はサブカルチャーを「成熟」させることを自らの使命としているように見えるし、その文脈で、本書後半では「ビルドゥングスロマン」というタームが嫌というほど登場する。ところでどうでもいいことだが、ビルドゥングスロマンの典型作はゲーテの「ヴィルヘルムマイスター」であるけれども、その「ヴィルヘルムマイスター」は果たして「成熟」の物語だったのか知らん。だいたい、まだ「修行時代」の方はおもしろくないこともなかったが、「遍歴時代」は退屈で、僕はたぶん途中で棒を折ってしまった筈である。って話が逸れたが、そもそも大塚英志自身が、そんなに「成熟」した人なのであろうか。よく知らないが、著者自身が己の暴力的な自己主張の強さを露悪的に吹聴しているくらいなのだけれども。なにせ喧嘩別れが「芸風」というくらいだから。まあ、これもどうでもいい話である。
 それから、大塚英志は、非常に「政治的な」人であること。本書でも政治の話がてんこ盛りである。しかし、この時代に「文学」「成熟」「政治」という人がねちっこい性格の持ち主だと、そりゃ「濃い」本を書くはずだ。そういう人がチャイルドポルノ雑誌の現在的形態のフォーマットを作り上げたひとりであるというのは、おもしろい話である。自業自得と云うべきであろう。
 なお、当然のことであるが、批評家として大塚英志は現代における巨人のひとりであることは紛れもない。これは好き嫌いとはまた別の話である。蛇足ながら断っておく。

ビルドゥングスロマンと云われる古典は、それほどないよね。古典に昧いので困るが、自分の読んだものでよくビルドゥングスロマンとされるのは、他に『魔の山』くらいであろうか。あれは「ヴィルヘルムマイスター」以上に厄介でしんどい小説で、そもそもサナトリウムが舞台なことからわかるように、「成熟」とは関係がない。死が約束された世界なのだ。結局主人公は山のサナトリウムを無理やり下りてしまい、戦争に従軍してあっさり戦死してしまう(でよかったかな?)。「成熟」した主人公が堂々とした責任ある大人になるというようなものではない。ということは、ビルドゥングスロマンっていったい何なのだろう? どうもわからなくなってきた。
 Wikipedia を見てみると、ビルドゥングスロマンとして『青い花』や『ヒュペーリオン』などの名が挙げられているが、これらも「成熟」ではないよね。そもそもノヴァーリスは早死、ヘルダーリンは30代で統合失調症を発病してしまうし。「成熟」の暇(いとま)がない。うーん、ビルドゥングスロマンは「成長」ではあるが「成熟」ではないと。これはおもしろい問題だな。もう少し考えてみよう。

アルバイトの関係で今日は食事をとったのが遅い時間であり、久しぶりにテレビのニュースを見たのだが、とても落ち込まされた。まあ、特別なニュースがあったわけではないのだが。耐性がなくなっている。ホント、下らないことをしよう。それがいちばんだ。
ちょっとだけ書いておくか。(すぐ上のつぶやきとは関係がないですよ。)このところ自分の複数のチャンネルに「山本太郎」の名前が同時多発的に入ってきて驚いている。山本太郎というのは、あの道化者として世間の嘲笑を浴びている(ぐぐってみるとヒドいことになっている)、例の衆議院議員である。詳しくは書かないが、STAP細胞事件についても電通批判についても、非常にいいところを突いている。山本太郎にどういう嗅覚があるのか知らないが、僕にはこのドン・キホーテがちょっとおもしろく感じられてきた。「マジメ馬鹿」が突き抜けたのであろうか。こちらとて興味本位ではあるが、頭の片隅に置いておこうと思う*2

*1:ぐぐってみて驚いたのだが、このことをはっきりと述べてあるネット記事はなかなかない。そんなことは当り前すぎて、書くにも値しないのだろうか。皆んな知っていて、声を上げないのか。それとも残業代が出なくなるのは困るということか。ちなみに「過労死」という日本語はいまや国際用語である。

*2:なお、これは書いておかないとフェアではないと思うので書くが、山本太郎のマジメぶりを評価する声はネットには少なくないし、よく考えていると云う人もちゃんと居る。はてブとかはあまり見ないほうがいいと思う。