ミシェル・フーコー講義『悪をなし真実を言う』/瀧本往人『コンピュータウィルス解体新書』

2016年冬_76晴。
はー、十一時間くらい寝た。寝すぎ。いまちょっとしんどいのだな。
名古屋市美術館へ行って思うのだが、岐阜県美術館はたぶん予算的には大したことないのだろうけれど、ルドンを選択的に収集しているというだけで名古屋市美術館にまさっているような気がする(まあ勝ち負けの問題ではないか)。バカ高い「お下げ髪の少女」とかまったく要らないし。極東の島国の、それも地方の美術館は、キュレーターの眼力にかかっている。必ずしも高価な美術品だけがいいものではないので。僕は、岐阜県美術館にはなかなかの眼力の人が居るんじゃないのかと密かに思っている。それはルドン以外のものを観てもそう思う。地元びいきすぎ?
 しかしまあ、ここにはこんな有名な美術品がありますよというような「目玉商品」をもっていることは、美術をよく知らない人たちには利くだろうし、運営的に必要なのかも知れない。でも、それこそお金というのは大事なので、あんまり高価でない「目玉商品」を考えることも重要だよね。モジリアニを選んだのが阿呆だとまでは云わないが。
 音楽と美術のちがいといえばいくらでもあるだろうが、両者とも「複製技術」に冒されているのだけれど、その有り様は同じではない。音楽ももちろんコンサートやライブに行くのがいいのだが、部屋の中でヘッドホンで聴くというのもまた充分成立するのに対し、美術はこれは、パソコンのディスプレイで観るのでは欠落するものが多すぎる。美術品はどうしても実物を観るしかない。骨董なんかでは(画も本当はそうなのだろうが)、さらに買ってみるしかわからないともいう。なかなかむずかしいなあ。
 そういや浅田彰さんは、ミロの本物があるような家で育ったのだったな。ふーむ。そういう子が中学生で資本論を読むと。
 音楽は「音楽館」(漢字変換で出てこない)は要らないけれど、美術は美術館はどうしても必要。これは正しいことなのか。ん、正しい?

昼からプールへ行こうと思ったのだが、行ってみたら春休みの高校生(たぶん部活だろう)が大量で断念。帰りは遠回りして、美濃(市)の方への新しく出来たバイパスを通ってみる。好天で車内は暑いくらい。



素人がちょっと馬鹿なことを書きますね。いまフーコーの講義録を読んでいるのだが、僕にはフーコーはリスペクトすべき人物であるけれど、どうもしんどい気がする。西洋人だからだろうが、フーコーは真理概念にこだわりすぎて、自分にはかなわない。「真理」がどうでもいいものだとはもちろん云わないが、僕には「真実」の方がよほど気になる。「真理」というのは、必ず暴力的である。例外はない。
 そしてまた、西洋の真理概念の成立には「告白」というものが大変大きな役割をしていることを、フーコーはとても重く見ている。さすがはフーコーで、そのとおりであろうと僕なども思う。しかし、「告白」で「自我」を作る(とはフーコーは言っていないが)というのは、まったく自分にはウンザリさせられる話である。「自我」というものは西洋ではそれがないと人間とは認められないものであるが、結局「自我」というのは自分のまわりを城壁で囲むという行為である。もう、いい加減にしたらどうか。
 「真理」は間違ったものを許容しない。それを殺害する。

図書館から借りてきた、ミシェル・フーコー『悪をなし真実を言う ルーヴァン講義1981』読了。上に読書中の感想を書いたが、読了して特に変更点はない。ただ、フーコーは「真理」や「自我」を言説によって(!)解体しようとしていた人なわけだ。それにもかかわらず、フーコーの意図は(結果的に)また新たな「真理」を打ち立てることにあったということ。ただ、それは非常におもしろいものではあるし、ものすごい力業でもあろう。ところで、読んでいてホトホト思われるのは、フーコーという人はまた何て頭がいいんだろうと云うことだ(素朴な感想ですが)。浅田彰さん(またですか)はとてつもない秀才だが、それでもフーコーの方が頭がいい気がする。いや、どうでもよすぎることを書きました。
悪をなし真実を言う: ルーヴァン講義1981

悪をなし真実を言う: ルーヴァン講義1981

図書館から借りてきた、瀧本往人『コンピュータウィルス解体新書』読了。少し古い本だがなかなかおもしろかった。かつては Flash Player や Acrobat Reader の脆弱性で、ウェブページを見ただけでウィルス感染とかがあったらしいが、さすがに今ではそういうことはまずないだろう。いまコンピュータ・ウィルスに感染するとすれば、一、わけのわからないファイルをネットからダウンロードする(そしてそのファイルを実行する)、二、わけのわからないメールの添付ファイルを開く、三、ウィルス感染している USBメモリ等をパソコンに繋ぐ、あたりのいずれかではないか。これらをすれば、さすがにウィルス対策ソフトを使っていても感染するかも知れない。P2Pファイル共有ソフトWinny」は、これによるウィルス感染で官公庁のデータが流出したりする事態になって、製作者(既に故人)が逮捕される(最終的には無罪)という社会的事件になったが、P2P技術自体は単なるコンピュータ技術で、それが悪であるというのはおかしいと思う。ただ、P2P技術が違法行為に利用されるということで、問題になったのだった。このあたりはむずかしいところで、最先端技術が戦争に使われるのと似ている点がないでもない(情報流出や著作権侵害は犯罪になるが、戦争はそれ自体では犯罪とされない。変な話だが)。まあ、コンピュータ・ウィルスは単にコンピュータ技術に過ぎないとはちょっと云えないところがあるけれど。まずはあまりいい意図で作られるものではないから。でも、将来の戦争には使われるかも知れない。いや、これもいい意図ではないか。
コンピュータウイルス解体新書 (I・O BOOKS)

コンピュータウイルス解体新書 (I・O BOOKS)


CoffeeScript を使ってみる(参照参照HP)。