ジェイン・ジェイコブズ『市場の倫理 統治の倫理』

2016年冬_52晴。暑いくらい。ようやく紅梅が咲き出した。ウチの紅梅くらい遅いのは、他に見たことがないくらい。
うどん・そば「ひらく」にて昼食。天麩羅うどん950円。

ジェイン・ジェイコブズ『市場の倫理 統治の倫理』読了。読んでいて興奮させられた。著者は人間が生きていくための手段は、「取る take」か「取引する trade」のいずれかしかないという。そしてそのそれぞれにおいて、守るべき倫理はほぼ反対になっているというのだ。つまり、前者が「統治の倫理」であり、後者が「市場の倫理」であるということである。例えば「統治の倫理」における「忠実」と、「市場の倫理」における「誠実」のちがい。日本の現在のネット状況で云えば、「統治の倫理」を採るのがネトウヨであり、「市場の倫理」を代表するのがちきりんさんであろうか。著者の対話篇(本書はディベートの体裁を採って話が進んでいく)によれば、両者どちらかが正しいというわけではなく、双方が必要であり、また両者の折衷こそ最悪だというのだ。ただ、本書ではどちらかといえば、「市場の倫理」の方に多少バイアスがかかっているように読めなくもないが、これは自分だけの感じかも知れない。
 なお、自分の言葉で云えば、「取引する」は交換であろうし、「取る」は収奪でもあれば、贈与でもあるだろう。この「取る」が簡単ではない。交換は、収奪か贈与のどちらかが必ず先行していなければならないからだ。ここのところは、ジェイコブズは気づいていないように思える。「取る」と「取引する」は、対称的でないのである。そして収奪と贈与であるが、後者は時代が進むにつれてどんどん稀になってきている。つまり、収奪のみが普遍化してきているように見えるのだ。本書ではエコロジストのベンの役割が小さくなっているが、それは著者が贈与の衰退に気づいていないせいであるように思われる。
 いずれにせよ、これは素晴らしい本である。この「市場の倫理」と「統治の倫理」の区別は、殆ど目からウロコの類で、これこそが自分を興奮させたのだった。そんなこと自明だって? なかなかそうでもないのですよ。一読をお勧めしたい。

市場の倫理 統治の倫理 (ちくま学芸文庫)

市場の倫理 統治の倫理 (ちくま学芸文庫)

もうひとつ。贈与は「取る」のではあるが、「統治の倫理」に動かされているとは必ずしも云えないだろう。本書は優れた本であるが、贈与への考察を殆ど欠いている。それが弱点といえば弱点であろう。