多田道太郎『しぐさの日本文化』

晴。
早起き。五時前に目が覚める。
音楽を聴く。■モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調 K.377(ダニエル・アウナー、ロビン・グリーン)。ふつうの演奏。

Mozart: Dialog Mit Mozart

Mozart: Dialog Mit Mozart

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第四番 op.18-4(タカーチQ、参照)。■シューマン交響曲第三番 op.97 (ショルティ参照)。この曲のこんな筋肉質な演奏はないだろうと思いながら、結局堪能してしまった。やはりショルティ、一廉の指揮者だったな。■C.P.E.バッハプロイセンソナタ第三番 H.26 (アスペレン、参照)。
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日本発の Linux ディストリビューションに「Momonga Linux」というのがあるらしい。
 ・Momonga Linux
系統は RPM 系。開発に積極的に Ruby を使っているということで、なかなかおもしろそうである。ただ、ぐぐってみると、残念ながら最近はあまり活発に活動していないようにも見える(Wikipedia には「開発終了」とある)。最新のリリースは 2011 年。そのうちどこかに入れてみようかな。Red Hat 系は使ったことがないし。
 なお、これは「」というサイトで知った。このサイト、Linux 入門としておもしろくて役に立つ。Linux に興味のある方は覗いて損はないと思います。しかし、 Linux Mint に一切言及がないというのはどうしてなのだろう。
 タブレットLinux が入らないか、おもしろそうなので昨晩ちょっと調べてみた。「Nexus 7Ubuntu を入れる」という記事(参照)は一応あったが、まだ安定して使えるものはないようだ。タブレットって統一した規格がないものね。とにかく、今のタブレットはアプリを使うしかないので、もっと自由が欲しい。iPadApple だから、絶対に中身を見せないし。そこが Apple はつまらんなあ。AndroidJava を使うしかないか。

多田道太郎『しぐさの日本文化』読了。いまや多田道太郎先生を読むなどよほどの物好きであろう。確かに僕も多田先生など古くさいと思うが、僕は古くさいものウェルカムなのでよいのだ。しかし、ここに至るだけでも大変なことで、膨大な能力と見識の積み重ねなのだが、いまやかかるものすら顧みられることが少ないとは、まったくむずかしいものである。だいたい、多田先生は何やら小難しいタームを使われない。でも、たいていのその類なんかよりよほど中身があるのだが。色いろ例を挙げて証明したいところだが、アルコールが入っていて面倒なのでしない。いちばん興味深かったことだけ挙げておくと、日本人の「すり足」はどこから来ているかという疑問である。能はもちろんそうだし、最近指摘されるようになった「ナンバ歩き」もそうだろうと云う。剣道がそうだし、古い歴史のある、相撲もそうだ。確かにこれは不思議である。中国大陸や朝鮮半島にもないような気がするのだが。「反閇」の語が出ていたのが興味深かった。あのステップは不思議である。日本の農耕文化に関係があるのだろうか。
しぐさの日本文化 (角川文庫 白 254-1)

しぐさの日本文化 (角川文庫 白 254-1)

ついでに書いておくと、僕は純粋な日本固有の文化があるなどとは思わない。そのように見えるのは、すべて歴史時代に入ってからの仮構だと思う。だから、純粋な日本精神などはない。古事記なんかはまず確実に偽書である(それは学問的に証明可能であろう*1)。ただ、日本人にすごいところがあるとすれば、その雑種的消化力が挙げられるだろう。日本語がその最良の例だ。これは、本当におもしろくて愉快なものである。最近でも、2ちゃんねる発のネットスラングなど、驚かされるものが多い(自分はうまく使えないが)。だいたい、日本語に正統なそれなどない(あるとすれば自分は鴎外の日本語を挙げたいが、あれは現代の誰も可能でない)。きわめて奇怪な自由度に富んだ言語だと思う。できれば、うまく使えるようになりたいものだ。
 なお、天皇神道などと考えている人は歴史を何も知らないも同然である。天皇家はその権力掌握の最初期(既に歴史時代に入っている)から、仏教とともにあったと考えた方がよい。尤もそう言ったからといって、プリミティヴな形態の「神道」が古いものであることもまた正しいであろう(沖縄の信仰形態が参考になる)。ただ、天皇家はかかるものを受け継ぐより、むしろ対抗する勢力であったように思える。例えば、古事記はそのような観点から読まれてもよいであろう(例えば出雲とは何か)。あれが非常に複雑な意図で編纂されていることは間違いない。

kなんとかの日記
もう五年以上更新されていないけれど、おもしろいブログ発見。コメント欄との間ですごいバトルをやっている。で、嫌になってブログ放棄ということらしい。しかし、上級者の世界ってのは飛んでもないものですな。自分のような恒久的素人初心者プログラマには目の眩むよう。それにしても、過剰に反発される人ってのは居るものだな。それから、プログラミングのスキルとは関係なく、読解力のスキルというものも存在して、ネットにはこれを欠く人が少なくないことがわかる。何というか、よく相手の文章を読まずにコメントしている人が稀どころではない。桑原桑原。
 これは自戒でもあるけれど、勉強してないのに絡んでくる奴って本当に困る。説得のしようがない。事実を言っても理解できないし、それゆえに感情的な(そして見当違いな)どうしようもない言い掛かりをつけてくる。曲解の塊。で、そのうちにキレて人格攻撃をしてくる…。これはネットに限らないけれど。

*1:ってのは云い過ぎか。まあ、そんな証明は誰もやらないだろうが。ちなみに、本居宣長の読みはすべて想像なので、あれが正しいかどうかは永遠に誰にもわからない。その意味で、白川静の漢字に似ている。