ジョージ・グリーンスタイン&アーサー・G・ザイアンツ『量子論が試されるとき』/Richard Reese『詳説 Cポインタ』

晴。
朝寝坊。はっきりした夢を色いろと見た。睡眠の後始末で午前中がつぶれる。睡眠というものが少しわかってきた。意識をコントロールするようには、睡眠をコントロールするのはむずかしい。むしろ、起きてからが大切。しかし、そのあたりのことはまだ試みている最中だ。心の方向性をどうもっていったらよいかというのは、その時々の主観的かつ客観的状況によるだろう。今どうするといちばんよいかはまだはっきりとはわからない。
 多方向に取り散らかっているのだが、それらを接続し、ひとつの領域を作ること。うまくどちらの方向へもいけるようにするのは、どうすると効果的か。

図書館から借りてきた、ジョージ・グリーンスタイン&アーサー・G・ザイアンツ『量子論が試されるとき』読了。昨日も少し書いたが、驚くべき内容である。量子力学はその基本前提がよくわかっていない。例えば非局所問題、例えば観測問題、また、波動関数の「収縮」など。これらは量子力学を学び始めた最初の頃に出てくるが、極めて難解であり、学生には「こういう問題については考えていけない」とすら云われる。こんなわけのわからない問題に取り組んで、成果なく研究者生活を終えてはいけないという「忠告」である。
 しかし、実験が進歩するにつれ、かかる難問たちを直接実験で確かめるようなことが可能になってきたと云うのだ。これらによると、量子力学の正しさがますます明らかになってきている。しかし、それをイメージ化するのは、またますます困難にもなってきている。例えば遅延選択実験など、光子は過去を変えるかのような振舞いをする。これはどう考えるべきか。また、非局所性の問題では、量子的絡み合いによって、我々の観測する粒子が宇宙のどこかと関連がないのかあるのか、わかったものではないということになる(何だか華厳仏教を思わせる話だ)。そして、シュレーディンガー方程式は「波動関数の収縮」を記述しない。この「収縮」に関しては、量子力学の黎明期から事態は大して変っていないのだ。それにメカニズムがあるのかどうかさえ、わかっていないのである。いや、おもしろいですねえ。

量子論が試されるとき――画期的な実験で基本原理の未解決問題に挑む

量子論が試されるとき――画期的な実験で基本原理の未解決問題に挑む

僕などには、量子力学的粒子に運動の「経路」がないということすら、よくわからない。いや、それがないならないのでいいのである。上の本では、一つの粒子が二重スリットの「両方を通る」ということが常識のように書かれているくらいだ。しかし、じゃあ霧箱で観測されるアレは何? というあたりである。

図書館から借りてきた、Richard Reese『詳説 Cポインタ』にざっと目を通す。まあ、目を通したというだけ。C はまだまだ這い這いレヴェルだ。
詳説 Cポインタ

詳説 Cポインタ


山形浩生さんがブログでイギリスの産業革命云々という本の書評を書いておられたが、先日読んだ世界システム論だと、産業革命の原因云々より、そもそも産業革命大したことなし説である。確か、イギリスがヘゲモニーを握ったのはそれが帝国であったせいで、どうして帝国になったかというと帝国にしようとしたから、とかいう身も蓋もない説明だったような(うろ覚え)。でも、読んでいるときは一理あるような気はしていた。イギリス=「世界の工場」説はほとんど事実でないそうで、そうであったのは短い期間にすぎないらしい。イギリスが大儲けしたのは、アジアと植民地(アメリカ大陸)とヨーロッパの間の中継貿易を握ったからである。品物をたらい回しにして、莫大な富を築き上げたわけだ。衰えてからは、金融を握ったわけである。これはイギリス以前のオランダ(アムステルダム)、イギリス以降のアメリカ(ニューヨーク)と一緒。てな感じ。