テオドール.W.アドルノ『哲学のアクチュアリティ』

晴。起きたら積もっていた。8 cm だそうである。よく考えたら、この冬の初雪。
昼から雪。のち曇。
2016年冬_22
音楽を聴く。■ショパン:ワルツ第三番 op.34-2、第五番 op.42、第六番 op.64-1、第七番 op.64-2、第八番 op.64-3 (ルービンシュタイン参照)。■ベートーヴェンピアノ三重奏曲第一番 op.1-1 (チョン・トリオ、参照)。この演奏で主導的な役割を果たしているのは、ピアノのミョンフンだ。こんな見事な室内楽のピアノは、滅多に聴くことができない。室内楽のピアノとして、最高クラスだろう。全体としてのまとまりも申し分ない。しかし、家族でこれほどの演奏ができるとは、さぞかし楽しいだろうなあ。■ショスタコーヴィチ交響曲第五番 op.47 (バーンスタイン NYPO 1959)。まずこの曲で問題となる終楽章である。これは例の『ショスタコーヴィチの証言』が本当にショスタコーヴィチ自身の発言なのか、だとして、それを本気に取るべきかという問題があるのだが、むずかしいところである。この問題は終楽章の解釈が正反対になってしまうこともあり、無視するのはむずかしいが、もとより自分に決定できるような問題ではないことも事実だ。いずれにせよバーンスタインがどういうつもりかはまったくわからない(だいたい、あの「発言」はこの録音の前なのか)が、とにかく終楽章の冒頭は、ものすごい勢いで突っ走っている。しかし、終楽章全体は、前の三楽章にくらべ軽い感じ。音楽的には、前の三楽章の方が内容があるように聴こえる。実際、前の三楽章を聴いていると、二十世紀が総力戦と全体主義の時代であることがつい思い出されてくるような、深い感情が聴き取れる。このようなものを音楽に読み込むことはいい趣味ではないが、どうも仕方がない。まさしくベートーヴェン以降、ショスタコーヴィチはもっともベートーヴェンに近い作曲家であったと云えるかも知れない。ショスタコーヴィチがあの時代のソ連の作曲家でなかったら、いったいどのような音楽を書いたであろうか?

つけ麺「丸和」にて昼食。丸和つけ麺830円。父がめずらしくつけ麺を食べると言った。いつものうどん屋は定休日なのである。おいしゅうございました。

つけ麺丸和 各務原分店

食べログ つけ麺丸和 各務原分店

M. Hiroi さんの HP(参照)で Lisp のお勉強。LinuxSBCL を使っているのだが、対話型シェルがとても使いにくい。カーソルキーすらサポートされていない。あるところを見たら、"We need Emacs+Slime as a front end to SBCL." と書いてあった。Emacs 使わないといけないか。覚えるの面倒なので、先延ばしにしてきたのだが…。RubyPythonLinux の Geany というシンプルな IDE を使っているのだが、ゆっくり考えて入力していると指一本でやっていることもあるのだから、これでは到底初心者から出られまいなあ。
 それから、SBCLエスケープシーケンスが使えないみたいだ。どうなっているの? 何でも、Common Lisp の仕様にエスケープシーケンスがないらしい…。
 仕方がないので、とにかく Emacs と Slime をインストールした。

図書館から借りてきた、テオドール.W.アドルノ『哲学のアクチュアリティ』読了。初期論集。最近存在感が衰えてきているようにも感じるみすず書房だが、本書などはさすがである。アドルノって今どうなの? それはよく知らないが、彼も読み返したい哲学者だ。本書はそれほど難解でもない。自分には、音楽の話が特におもしろかった。この論考を書いた頃、アドルノはベルクの元で作曲を勉強していたから、徹底して新ウィーン楽派擁護である。シューマンブラームスを評価しているように見えるのは、ちょっと意外な気も。なにげにホッとしますね。
哲学のアクチュアリティ―― 初期論集 (始まりの本)

哲学のアクチュアリティ―― 初期論集 (始まりの本)


仕事場で空き時間にアルゴリズムへの導入書に目を通していた。MIT の教科書だと云うことで、自分にはむずかしすぎるかと危惧しながらアマゾンで購入したもの。さすが MIT なのか、かなり丁寧に書かれているようで充分にわかりそうである。使われている数学は高校数学程度で、高校数学が使いこなせれば問題なさそうだ。擬似コードPython 乃至 Ruby 風で、容易に Ruby に置き換えられそう(実際にやってみるつもり)。別に好きでやっているので、ゆっくり読むことになると思う。
 じつは第二巻も買った。高価なのに思い切って買ったのは、JavaBlack さんがブログで勧めていた(なので、自分には無理かとも思った)のと、それから無知でプロジェクト・オイラーが解けなくなってきたからである。しかし、それを超えてアルゴリズムというものそれ自体がおもしろそうなことがわかった。これは一種の数学ですね。いや、計算機理論ってのはそれだけで興味深い。それこそ、「チューリング完全」というところからやってみたくなった。
アルゴリズムイントロダクション 第3版 第1巻: 基礎・ソート・データ構造・数学 (世界標準MIT教科書)

アルゴリズムイントロダクション 第3版 第1巻: 基礎・ソート・データ構造・数学 (世界標準MIT教科書)

アルゴリズムイントロダクション 第3版 第2巻: 高度な設計と解析手法・高度なデータ構造・グラフアルゴリズム (世界標準MIT教科書)

アルゴリズムイントロダクション 第3版 第2巻: 高度な設計と解析手法・高度なデータ構造・グラフアルゴリズム (世界標準MIT教科書)

アルゴリズムと関係ないけれど、初心者なりに思うに、クラスやメソッド(関数)、変数などのいい名前の付け方って、なかなかむずかしい。こんなのいいプログラミングに関係ないという人もいるかも知れないけれど、僕はかなり関係があると思います。複数人で開発する場合など、さらにだと予想する。自分は勝手にひとりでやっているだけだけれど、コードの読みやすさに関わってくる筈である。実際、読みにくいコードをコピペしてきて、変数の名前を(上手く)変えるだけで、格段に読みやすくなったりする。さらに、名前だけでなくて細かいところも変えてコードを読みやすくするのは、勉強になる気がする。あと、他の言語で書かれているコードを自分の好きな言語に移植するのも、勉強になるような。移植できれば、多少力がついてきたのが実感できます。(ちなみに Ruby は、大抵の言語のコードをかなり上手く移植できる気がします。Perl も上級者なら、そのあたりは似ているような。)
 コードを読むってむずかしいよね。他人の考えを追体験するようなものだから。どんなコードでも読める人は、それだけで相当の実力者だという感じがする。自分の得意な言語でも結構むずかしいですよ。Ruby でも標準添付ライブラリのコードを読もうと思うのだけれども、まだまだ力不足だ。