浅田彰『構造と力』再読

雨。のち晴。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第十六番 K.451(内田光子、テイト、参照)。■ショスタコーヴィチ交響曲第一番 op.10 (バーンスタイン NYPO 1971)。ショスタコーヴィチは本当に才能のある作曲家だな。調性音楽にこういう可能性があったとは。バーンスタインを聴いていてカラヤンを思い出すのも変な話だが、カラヤンがもし自分が作曲をするということになれば、ショスタコーヴィチみたいな音楽になるだろうと言っていたのを思い出した。で、カラヤンショスタコーヴィチは、交響曲第十番を、それもただ一度だけ録音しただけなのだよね。どうしてなのか、考えてみるのもおもしろい。■ショスタコーヴィチ交響曲第六番 op.54 (バーンスタイン NYPO 1963)。引き続きバーンスタインショスタコーヴィチ。続けるとさすがにしんどい。

浅田彰『構造と力』を読み返す。これで何度目か。今回もとてもおもしろかった。いちばんの感想としては、「理論物理学」もここまできていたのかというもの。特に象徴秩序の形成とダイナミズムの記述は、圧倒的に精緻で明晰だ。それに比べれば、象徴秩序と近代資本主義の関係を解明しようとした部分は、どうしても理論の肌理が荒いようにも思える。しかしまあ、ここまでやれれば充分であろう。浅田さん自身は、この「理論」を「実験的に」検証し、理論にフィードバックしていくという作業を行わなかった。実際、それは「神秘主義」として周到に禁止されているのだが、それは理解できるとは云え、残念なような気もする。浅田さんなら、爆発的なエネルギーをもった粒子コライダーそのものになることも、あるいは可能であったかも知れないのに。安全策にも見える方向を選んでしまったのか、それしかなかったのか。
 それから、残念ながら、使っている用語が急速に古くさくなってしまっている。これでは、僕のような時代遅れのおじさんしか読み返せないだろう。これは浅田さんが悪いのではなくで、不勉強ないまどきの秀才たちが悪いのだが、そんなことを言ってもしかたがない。これは次の世代の誰かが何とかしないといけないだろう。東浩紀さんなんかは、今更そんなことをやる気がしないだろうしな。

構造と力―記号論を超えて

構造と力―記号論を超えて

それから、アマゾンのレヴューを読んでいたら、「わかりやすい」と書いてある無内容なものが少なくなかったが、バカバカしい話である。本書は明晰な部分も多いが、そうしたところですら決して「わかりやすい」ものではない。というのは、浅田さん自身がかなり含蓄がある部分でも(意図的に)強引に押し切っているからである。象徴秩序の話でも、元来はそんなに簡単なものではなく、これを「わかりやすい」としている人は、まずは中身は殆どわかっていないのが確実である。実際、例えば近代資本制がサンスの整流器であるというのも、それは浅田さん特有の言い方で正しいのであって、ああわかったと無批判的に肯定するような奴はバカであろう。エラそうでごめんなさいね。まあ、若さで背伸びするのはまったく正しいが。
 言っておくけれど、僕もバカだからね。下らないレヴューを書いている奴らよりはマシかも知れないというだけである。
 しかし、「意味=方向」という考え方はきわめて魅力的なのだが、「意味」の意味(!)はたぶんそれだけに尽きないような気がする。いや、浅田さん自身がそれだけとは捉えていない筈だ。よく考えよう。
2016年冬_21
久しぶりにカルコス。検索してみたら、ちょうどひと月ぶりじゃないか。いかんな。9冊13716円ぶん買う。まだ他にも買いたい本があったのだが、いいかげんにしておく。プログラミング関係の本は、カルコスでは段々買うものがなくなってきた。どうしてああ同工異曲の超初心者向けの本ばかり並んでいるのか。C の超初心者本なんて、3種類くらいあれば充分じゃないか。Lisp の本は一冊もなし。買ってきたのはこれ。
アルゴリズムパズル ―プログラマのための数学パズル入門

アルゴリズムパズル ―プログラマのための数学パズル入門

立ち読みしてみたら、自分のような初心者にはひどくむずかしそうなので、喜んで買ってきた。自分には、全部解くのに百年くらいかかるのではないか。自分もいまだに背伸び好きである。おっさんの冷や水