平野義昌『海の本屋のはなし』/『新編 中国名詩選(中)』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:フランス風序曲 BWV831(シフ、 参照)。■ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第八番 op.30-3 (ズーカーマン、バレンボイム参照)。■モーツァルト:アンダンテと変奏 K.501 (スティーヴン・コヴァセヴィチ、アルゲリッチ)。この曲を聴くのはたぶん初めて。躍動する演奏。■シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第二番 op.121 (ルノー・カピュソン、アルゲリッチ)。これは素晴らしい。シューマンのヴァイオリン・ソナタでは、不安定な第一番が好きなのだが、古典的なこの曲も名曲だ。ヴァイオリン・ソナタにしては、かなり大きい曲だと思う。アルゲリッチももちろん素晴らしいし、カピュソンも実力者。がっちり曲を捉えつつ、幻想の表出も充分だ。この曲の好演だと思う。

ルガーノ・フェスティヴァル・ライヴ2008

ルガーノ・フェスティヴァル・ライヴ2008


Windows 10 用に作られた PC には、Linux が入れられなくなる可能性があるらしい。Microsoft はセコいのう。まあ、自分としては今のところは関係ないし、どうしてもダメになってしまったら中古 PC を買うしかないな。現在 Windows 7 & 8.1 は殆ど使っていない。Windows でプログラミングをするのは面倒だし、Linux Mint に慣れると Windows は余計な機能が多すぎて、却って使いにくい。しょっちゅうウィンドウが立ち上がってきて、色いろ聞いてくる。なぜかしばしばフリーズするし、Windows Update は邪魔臭いし、シャットダウンが遅いのも意外とイライラさせられる。とか何とか。まあ、Windows でしか使えないソフトもあるので、まったく使わないわけではないが。
Linuxによる並行プログラミング入門』を見ながら Linux プログラミングのよちよち歩き。

図書館から借りてきた、平野義昌『海の本屋のはなし』読了。副題「海文堂書店の記憶と記録」。2013年に閉店した、神戸の老舗「海文堂書店」の店員によって書かれた、閉店のエピソード。とても悲しい本だった。地元では相当の知名度もあり、生き残りのために様々な努力をしていたことが本書からも伺われるが、結局は廃業せざるを得なくなったのだ。現代における文化の軽視を慨嘆するのは既に紋切り型であるが、それでもつい嘆きたくなってしまう。と云っても、自分も本を購入するのは次第にアマゾンに傾斜し、また図書館から常時20冊ほどは借りてきているという状態になって、近所の中型書店に足を運ぶ回数は確実に減ってきている。あそこがなくなったら困るのだが、それでもそういうことをしているのだから、偉そうなことは云うべきではないかも知れない。
 それと関係しているのは、文化なら文化で、その質を判定する能力が次第に衰えてきているような気がする。それは文学や芸術に関してだけではなく、味覚を感じる力なども含まれる。味覚ならば、コーヒーやラーメン、スイーツなどを味わう力はすごいけれど、当り前の、ふつうの食べ物の味がわからなくなってきているような。スーパーで売っているような野菜でも、よくも皆んなあんなものを高い値段を出して買っていると思うことが少なくない。しかしこんなのは印象だから、まったく間違い切っているかも知れない。高価なものには縁がないしね。
 僕の地元にも「大衆書房」と「自由書房」という老舗書店があったが、前者はとっくに廃業、後者も規模縮小を余儀なくされていて、既に本店は閉鎖された。いずれも思い出深い本屋だったのだが。ネットには「本を読む人の数は減っていない」とか「図書館の利用も含めれば、以前よりも本は読まれている」という調査結果が出ているが、本屋で硬い本が売れなくなっているのが事実でないとは思えない。こういう言い方は非難されそうだが、「いい本」は確実に売れなくなってきている。ただ、それでどうしたという人もいようし、そう云われてみれば何も言い返せないのだが。自分としては、自分がそうすべきだと思うところにお金を落としていくように、なるべくしたいとは思っている。
海の本屋のはなし―海文堂書店の記憶と記録

海の本屋のはなし―海文堂書店の記憶と記録

『新編 中国名詩選(中)』読了。このところ漢詩は読んでなかったな。もう少し読みたいね。早寝。