御嵩・八百津観光/オノ・ヨーコ『グレープフルーツ・ジュース』

日曜日。曇。
音楽を聴く。■バッハ:フランス組曲第二番 BWV813(クリストフ・ルセ参照)。ルセの付けている装飾音だけちょっとうるさい。一般に装飾音を付けるかどうかは、議論の分かれるところだと思う。あとは申し分なく美しい。

東濃(東美濃)の御嵩町願興寺というお寺があるらしいのだが、秘仏の御開帳ということで家族で行ってきた。九時出発。道は各務原から国道21号を東へずっと行くだけで、一時間で着いた。天気はあいにくの曇だが、雨にはならないようである。願興寺は平安期からある古いお寺であるが、戦火で何度も焼失しており、今のは戦国期の建立に係る。建物は相当に傷んでおり、檀家が少ないらしくお金がなくて、それで修理の費用の捻出のために御本尊を御開帳したということらしい。収蔵庫に仏様たちはあったのだが、御本尊の薬師如来はちょっと採光が充分でなくてお顔がよくわからない。うっすらと見えたかぎりでは、なかなか柔和でよろしかった。御本尊はそんななのだが、他の脇士(日光・月光菩薩)や四天王、十二神将はすべて揃っており、阿弥陀如来像や釈迦如来像まである、充実した寺宝の数々だった。質もかなり高く、こんなところにあるのが不思議なほどである。釈迦如来像は印が変わっていて、説法印というのを組んでおられた。これは初めて見る気がする。
 収蔵庫外の紅葉もまずまずきれいで、それもよかった。ちなみに、結構な数の人が御開帳に来ていて、収蔵庫は人でいっぱいであった。
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そこからすぐ近くの愚渓寺へ。ここは臨済宗のお寺で、石庭がある。なんでも京都の竜安寺の石庭を造ったのと同じ人物の手になるとも云うが、それに違わずじつに立派なものだった。お金の話ばかりで申し訳ないが、ここはお金持ちのお寺らしく、隅々まで新品同様であった。しかし、お庭の手入れもきちんとしたもので、さすがに禅寺である。おそらく、石庭の「筋」みたいなのは毎日引き直している筈である。こんな立派で、しかも無料なのだが、我々以外誰も来ていなかった。それにしても、よくもこんな田舎にこんなものがあると思う。もっとも御嵩中山道沿いであるから、昔の基準では決して田舎ばかりではなかったのかも知れない。上の願興寺などは、一時期は伽藍が幾つもある大きなお寺だったそうであるから。
 歩いてすぐ近くには多宝塔もあった。これも意外に立派なもの。
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そこから細い山道を峠越えすることになって、八百津町へ。父が杉原千畝記念館へ行ってみたいと云うので。杉原千畝は最近ではかなり知られるようになってきたが、第二次世界大戦前のリトアニア・在カウナス日本領事館領事代理であり、ドイツ軍の東欧侵攻に際し、死に直面したユダヤ人たちにビザを発給して、6000人以上の命を救った外交官である。これは日本本国の命令に背いたものであり、戦後は外交官の任を解かれて不遇に近かったようだが、海外での名声が高まると共に日本でも名誉が回復された。出身がこの岐阜県加茂郡八百津町であり、岐阜でもかなり知られるようになってきた人である。記念館は八百津町が建設したもののようで、あたり一帯も公園として整備されている。どんな中身なのかと思って行ってみたが、一種の「戦争博物館」と云えるだろう。もちろん杉原千畝の顕彰のためであるから「ダーク・ツーリズム」とは云えないかも知れないが、ユダヤ人虐殺についてなど、かなり詳しく説明されていて勉強にもなった。建物は新しくオシャレっぽいものなのだが、まずまず中身があるのでお勧めである(僻地で多くの人には行くのが大変だろうけれど。交通手段はバスもあるらしいが、車の方がいいと思う)。今日はたくさんの人が来ていて、中は混雑しているくらいであった。
 記念館の近くに丸山ダムがあるので行ってみた。この辺りではわりと有名。橋の上から見物したが、特に高所恐怖症でなくともあまりにおっかない。写真を撮ったら速攻で逃げました。
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あとは昼食をとって帰ろうと。たまたま母が調べておいた、御嵩寿司「利休」へ行ってみた。ネットの情報どおりというか、何でこんなところにこんな店がという、素晴らしい味でした。たかが 1620円のランチなのに、味は一流店並だと思う。少なくとも我々には充分すぎるくらいでした。ネットの情報ってのはこわいくらいだね。店や主人については食べログに色いろ書いてあるので、へーと思いました。
 一時間くらいで二時半には帰宅。走行距離 95km。
 おまけ。名鉄御嵩駅前にて。
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寝てる。にらんでる。くつろいでる。

図書館。
Wikipedia杉原千畝に関する記事(こちら)を読んでいて、ちょっとウルッとした。思っていた以上に勇気と知力の要る行為だったのだな。しかしこれを読んでいても、日本の外務省の体質がよくわかる。真の国益を考えない、頭の悪い、恥ずかしい人たちだ。鈴木宗男のようなまともな政治家を陥れた、事実上の売国奴たちでもある。杉原千畝の名誉回復も、鈴木宗男のような政治家の存在や、外国からの事実上の抗議がなければ、あり得なかったことであろう。日本の外交が弱い筈である。しかし、人道に対するセンスがないとは…。まあどうでもいいが、これでは日本の外交が世界に敬意を払ってもらえなくても当然だな。
 近く、杉原千畝を描いた映画(参照公式サイト)が公開されるらしい。
まああんまり怒っちゃダメだな。

オノ・ヨーコ『グレープフルーツ・ジュース』読了。南風椎訳。もともとは英語で書かれた、すべてが命令形のアフォリズム集のようなものであり、写真とのコラボレーションであった。ジョン・レノンは、この本にインスパイアされて「イマジン」を書いたらしい。本書はそれを日本語に翻訳し、日本の写真家たちの写真とコラボし直して作られたものである。まあオノ・ヨーコの「詩」はまだいいとして、自分はこういう「芸術写真」というものをあまり好まない。写真集は、女の子のグラビア写真集を持っているだけである。自分の好みは、赤瀬川原平さんではないが、写真はすべて「報道写真」であるべきだと云うものである。だから、「トマソン」は大好きだし、そもそも観光写真やスナップ写真が好きだ。自分もカメラで遊ぶのは好きだが、「芸術」を狙う意識は殆どない。どうしてそうなのかわからないが、何故かそうなのである。いや、たぶん理由はあって、その方がおもしろいからということだろう。まあ、すべての「芸術写真」を好まないわけではないのだが。
 しかし、オノ・ヨーコの「詩」も、気は利いているが、思わせぶりな無意味のような気もする。あいだみつおと大差ない。例えばこの本を締めくくるのは、「この本を燃やしなさい。/読みおえたら。」という命令形であるが、自分には中二病的カッコつけとしか思えない。こういうのは、中学生で卒業して欲しい気がする。いや、まあいいのだけれど。

グレープフルーツ・ジュース (講談社文庫)

グレープフルーツ・ジュース (講談社文庫)

いや、上のこの商品を含むブログを見るから他のブログを読んでいったら卒倒しそうになった。「村上春樹風シャレオツ系」のてんこ盛りではないか。うーん、おもしろいなあ。田舎者がこういう人たちをあなどってはいけないか。皆んなオシャレに生きたいのですね。