西牟田靖『本で床は抜けるのか』

晴。
音楽を聴く。■ベートーヴェン:創作主題による変奏曲 op.44、カカドゥ変奏曲 op.121a (バレンボイム、ズーカーマン、デュ・プレ、参照)。■バッハ:ブランデンブルク協奏曲第五番 BWV1050 (サヴァール参照)。聴き直してみたらよかった。やはり一度だけではわからないことがあるな。

図書館から借りてきた、西牟田靖『本で床は抜けるのか』読了。これは題がいい。インパクトがあって、図書館で見てすぐに借りた。題名どおり、蔵書の量に苦しむ人たちの話であり、本とのつき合い方を考えさせる本になっている。まあ僕も本は多少読む方で、本の量に母親(妻も子供もいないので)が心よく思っていないのは確かだが、ここに出てくる人たちとは到底比較にならない。置き場を考えて元々単行本はあまり買わないできたし(その程度の読書家にすぎない)、最近は図書館に凝って(?)いる。本の数は到底1万冊ないと思う。家は元々百姓屋で狭くはないので、本はだいたい四部屋に分けて置いてある。一階の一部屋はすべての壁が本棚で、もう一部屋は二方の壁すべてが作り付けのスライド式の本棚になっているが、腕の良くない指物屋に頼んで失敗だった。二階は一部屋に四つほどの本棚があり、あとは本の溢れた自室である。いまは買う本は減って、文庫本や新書主体で月に10冊程度か。最近はプログラミング関係の本はわりと買っている。あとは市と県の図書館で読む。BOOK OFF へはあまり行かなくなった。床が抜けるなど、万々ないと思う。
 本書で考えさせるのは、書籍の電子化(いわゆる「自炊」)、あるいは電子書籍に関してである。僕は「自炊」はしたことがないし、これからもするかどうかはわからない。より関わりがありそうなのは、電子書籍である。iPad mini で読むのであるが、最近でこそあまり使っていないけれど、僕には違和感は少ない。Kindle アプリを使っているのだが、これはかなり読みやすく、特に洋書を簡単に辞書を引きながら読めるのはとても便利である。英語書籍の「青空文庫」にあたる「プロジェクト・グーテンベルク」(参照)は Kindle アプリに対応しているので、ありがたい。また、新書やラノベ電子書籍を積極的に利用したいと思っている。漱石や鴎外などの古典がタダみたいな(実際にタダのものも多い)値段で大量に読めるのも驚かされる。いや、若い人たちはもっと進んでいるだろうな。ただ、理系の本やプログラミング本などは本に書き込みたいこともあるので、どうしても紙の書籍の方が便利だ。
 図書館を利用するようになって思うのだが、図書館はベストセラーや人気の高い新刊書を何冊も(数十冊も)購入すべきではない。図書館は無料貸本屋ではない。むしろ、勉強する人たちのためにあるべきである。もちろん勉強する人は多くないと云えるかも知れないが、それでもそうあるべきだ。一冊4000円以上する専門書でも、それぞれの分野での必読書というものは少なくない。岐阜のようなところでは、県の図書館でも専門書がかなり苦しいので、嫌になってくる。一般人は勉強しないとでも思っているのだろうか。
 本書の話から逸れた。とにかく興味深い題材だった。著者のようなプロのライターの文章は僕はちょっと苦手なのだが、読みやすいのは確かである。本書の最後で、まさか本のためだけではないのだろうが、奥さんに離婚されてしまうのは印象的だ。まさしく本の世界は魔道であり外道であるに他ならない。本を読まない方がしあわせだったという話は、世間に意外とありふれている(たぶん、自分もそうである)。それでも業で、本を読み続けることになるのだろう。(AM01:30)

本で床は抜けるのか

本で床は抜けるのか