アンリ・ベルクソン『道徳と宗教の二つの源泉』

晴。
音楽を聴く。■モーツァルト交響曲第三十六番K.425(ガーディナー参照)。しかし本当にふつうだな。
昨日付の朝日新聞朝刊(名古屋本社版)を読んでいたら、岩本康志といかいう先生がいわゆるアベノミクスをほぼ全否定していたので、ほおと思った。何でもデフレは悪くないし、消費増税は当り前で、もっと早くからやっておくべきだったと。どうも財政赤字を問題にする論者らしいが、未だにこういうことをいう人がいるのかと思った。デフレが悪くないとか、たぶんこの先生は、微積分とかたぶんむずかしい数式なんかをバリバリ駆使しているくせに、足し算引き算レヴェルの問題がわからないような人なのだな。何でも東大の大学院教授で、マクロ経済学の本も書いているらしいから、何なのかという感じである。まあ、こうして経歴を見れば、殆どの人は僕の言っていることがいい加減で、先生の言うことが正しいに決まっていると思うだろう。(そんなことはどうでもいいが。)僕も財政赤字がいいなんてまったく思っていないのだが、実際のところ好景気になって、リフレ派の言うとおり税収も大幅に増えたのに(ってちゃんと皆んな知ってる?)、今になって誰も財政赤字のことは言わず、政府が増えた税収をどうでもいいことに使おうとしても何も言わないのだから、皆さんいい加減なものである。だから、この先生が財政赤字のことを思い出させてくれたのは、むしろありがたいと云うべきなのかも知れない。
 ついでに書いておくか。震災復興だが、未だに仮設住宅に住んでいる人がいるなんて、どういうこと? あんなところにいたら、確実に寿命が縮むのに。それに、特に議論もせず、海岸線に万里の長城みたいな堤防を造っているのも、本当にあれでいいのか、もう少し議論が必要なのではないか。結局、官僚とゼネコンの大好きな大規模土木工事が安易に選ばれてしまっている。あれがいけないと云うのではなく、とにかくもっと皆んなして考えるべき。そして何よりも、被災者たちは本当にそれを望んでいるのか。どうも、そうではないような話も聞こえてくるが。

ネッツトヨタ。見積もりを作ってもらう。思ったより安かったので、母はちょっと安堵していた。しかし、修理に二週間ほどもかかるのだな。乗っている人に何もなかったのが何よりですと云われた。確かに。
アンリ・ベルクソン『道徳と宗教の二つの源泉』読了。合田正人・小野浩太郎訳。僕は学生の頃岩波文庫でまとめて読んだときからベルクソンには惹かれてきたが、そのときも本書だけはよくわからなかった。この新訳を読んでも、たぶんよくわかっていないのではないかと思う。じつはかなり腹を立てつつ読んだのだが、自分の幼稚な読みを示す意味があるとは思わない。訳者(小野)による解説は、とても参考になった。記しておこうと思うのは、ベルクソンは徹底したサーベイの人だと思うのだが、本書ではどうも、僕にはベルクソンは、自分のよくわかっていないことを書いているような気がしてならないということ。「閉じた」道徳・宗教・社会、「開かれた」道徳・宗教・社会という区分を証明するのに、どうも無理をしているような気がしてならないのだ。僕には、ベルクソンが例えば仏教をよく知っていたとは思えないし、それから「原始人」に対する考え方も、到底ベルクソンの把握をそのまま受け入れるわけにはいかない。そして、本書で考察される重要概念である「神秘主義」「神秘主義者」についてであるが、ベルクソン自身が「推測である」と認めているし、そうでなかろうと自分には納得のいかない記述になっている。確かに迫る戦争に対して何とかアクションを試みようとしたのはわかるが、無理があるような気がして、どうも最後まで惹き込まれていかなかった。こういうのは、ベルクソンにふさわしくないような気がするのだ。いつも感じるスリリングな独創性も、残念ながら自分には感じられなかった。正直言って、「閉じた」「開かれた」というのも、どれだけ説明されても、あまりにも曖昧な感じがする。というような読書でした。皆さんはどういう読みか、知りたいものです。

道徳と宗教の二つの源泉 (ちくま学芸文庫)

道徳と宗教の二つの源泉 (ちくま学芸文庫)


県図書館。最近ここが楽しい。専門書には不満も(かなり)あるけれど、それでも棚を見ていると気分が落ち着く。市の図書館はそうはいかない。ここが最後の砦なので、がんばってほしいと祈るのみ。
 仕事場に寄ってから帰る。

たまたま「極東ブログ」を見て、「彼女が物理学のアカデミズムから翻訳者なろうとしているころ、数学はお得意だったのでしょと聞いたことがある。ラグランジアンなんかも難しいと思わなかったと答えていたのが印象的だった」(参照、あるいは参照)という文章があったのだけれど、これは finalvent さんの勘違いあるいは記憶違いではないか。青木さんがそんな恥ずかしいことを言うとはちょっと思えないのだが。物理学徒でラグランジアンなんぞがむずかしくなくとも、別にまったくふつうなので(別にむずかしくってもいいのですよ。そう感じる人の方が物理に貢献しても、僕はまったく驚きません)。ラグランジアン*1解析力学で使います)がわからなかったら、大学でどんな物理もできないというくらいの、当り前のツールです、ラグランジアンは。理系の学生なら、たぶん最初の年に学ぶと思うし。まあどうでもいいことなのだけれど、青木さんのために気になったので。たぶん「場の量子論ラグランジアンもむずかしくなかった」くらいのことではないか(参照)。これならば優秀です。僕はそんなに優秀ではなかった。
 それから、僕はこの『数学の大統一に挑む』という本は知らないが、finalvent さんの意図として青木さんが「数学の大統一」を理解しているというのならば、それだけで青木さんはすごい天才です(そうでないとはいいません。自分の知らないことなので)。翻訳家ではなくて数学者にならないと、世界の損失だと思う。「数学の大統一」をきちんと理解できるのは、世界的にトップレヴェルの数学者だけですから。これもまあどうでもいいことですけれど。
 以下は上とは関係のないことです。青木さんの初期の翻訳はたぶん京都の吉岡書店から出ていた筈だが、僕はその頃たまたま吉岡書店と多少の関係があったので、編集者の方が「理系の人なのだが、わかりやすい翻訳をする」と言っておられたのをよく覚えています(もちろん僕は青木さん自身とは面識はありません)。それから(たぶんそれを見て)すぐに岩波書店からも翻訳が出た筈で、吉岡の人は「当り前だな」と言っておられました。もう二〇年くらい前の話です。それから青木さんは押しも押されない理系の売れっ子翻訳家として活躍されてきました。僕も相当数読んだ筈です。上の本も読んでみようかな。
 何だか数学じみてきたので、ガロア理論でも勉強してみるかな。わかる人はわかる筈ですけれども、僕はそんなレヴェルなので、誤解なきよう。ガロア理論は現代数学の中ではやさしい方ですが、それでもはっきり言って僕には難解です。正直言って、現代数学の抽象性に、なかなか頭がついていかない。当ブログのカテゴリーに「群論」(これは一応これだけで理解できる筈)と「線形代数」ってのがありますが、特に代数の抽象性を何とかしようとした、低レヴェルなリファレンスです(挫折しているし)。数学科の学生は、こんなのがお茶の子でないと務まりません。物理でやっていた分野は、まだとっつきやすいですね(多様体とか)。あと、数論は苦手です。これは「数学の女王」で、才能が必要。

*1:たまたまだけれど、当ブログのここにちょっとした解説があるので、よろしければどうぞ。ただ、大学初年度の物理でやるよりは、数学風に書いてあります。