橋本治『負けない力』

雨。颱風接近。颱風が通過したら、雨が上がった。曇。
早起き。
音楽を聴く。■バッハ:四台のハープシコードのための協奏曲BWV1065(ピノック、参照)。■シューベルト弦楽四重奏曲第八番D112(メロスQ、参照)。
Metome を聴く。なかなか志は高いと思う。

Objet

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You Tube で日本の若い人たちの音楽をかなり聴いてみた。いろいろ感想は浮かんだが、とにかく皆んな才能だけで音楽を書いていると思う。勉強というか、普遍性への努力が殆ど見られない。って、たぶんこう言っても、僕が何を言いたいのかすらわからないのではないか。でもまあ、僕はポピュラー音楽はまったく不案内なので、ただ知らないだけなのかも知れない。若い人にも、すごい音楽家は居るのかも。これからも時々サーベイしよう。
 しかし、日本語の幼稚くさい Hip Hop は何とかならないものか。恥ずかしくてたまらない。ダサい。それでとんがっているつもりって聞きたいくらい。自分の気持ちをそのまま歌えば音楽になるとでも思っているのか。どうしてもっとラディカルにやらないの? って、これも僕が知らないだけか。まあ、修行にはなるけれど。
 ガタリは日本にすごく好意的だったけれど、ポピュラー音楽に関してだけは厳しい評価だったなあ。それをつい思い出す。
 こういうのはまだ悪くないな。ZORN か。


図書館から借りてきた、橋本治『負けない力』読了。うーん、何と云うべきか、下らないと云えば下らないし、どうでもいいと云えばどうでもいいし、さすがだと云えばさすがだなあ。まあさすがだとして、著者のキータームの用法は、普通とちょっとちがうよね。例えば著者は、今の日本人は「教養主義に囚われている」というようなことを言うけれど、まあ普通に考えれば、今の日本のどこに教養主義があるのかと云うべきだろう。著者に言わせれば、受験勉強は「教養主義的」なんだそうである。まあそうかも知れない。「コピペ文化」(っていま適当に思いついたタームだが)も、教養主義的。ふーん。で著者は、「もう教養主義的な考え方から脱すべきだ」と仰っている。どうも、存在しない敵に突進しているような気もする。でも、「何かヘンだな」という感覚を大事にせよというのには、賛成。ここらあたりがあったので、本書を読んでよかったという気になれた。そうそう、本書はコンセプトとしては、「知性」についての本なのである。そして、必ずしも否定的な意味ではなく、「反知性主義」を勧めるためのそれなのではないかと思った。つまり、書物の中に「考える」ということは入っていない、という意味で。意外と考え方としては、よくある議論なのだと思う。
負けない力

負けない力


自分でも意外なことだが、吉田秀和さんが亡くなって、自分の中で、気になる現役の音楽評論家がいなくなってしまったのだなと思う。決して、吉田さんの推薦した CD は全部買うとか、そういう対象ではなかったのだが。それに僕の中では、吉田さんは音楽評論家である以上に、一種の思想家とか、文学者とか、そういう存在に近かった筈だ。けれどもやはり亡くなるまで、最重要の現役の音楽評論家だったのだと思う。そして、そのちょっとした態度をよく覚えている。例えば、最晩年でもシャイーのマーラーを聴いておられた。すごく褒めるのではない、聴いたということを淡々と書いておられたが、もちろん吉田さんは、シャイーの器の小ささはよくわかっておられたに決まっている。けれども、その新しさも、また同時にわかっておられたのだ。その批評は、名演だけに固執する、日本の音楽批評のあり方とは、一線を画しているものであった。最晩年になって、片山杜秀さんを評価しておられたのも印象的である。あの人も、名演路線とはまたちがう評論をする人だ(めっちゃ個性的ですよね、笑)。僕も自分なりに、このところ「偉大な」演奏家ばかりだけでなく、「ふつうの」演奏家の「ふつうの」演奏を努めて聴くようにしてきたが、だからこそ名演の名演たる所以もさらにわかるようになったのではないかという気がしている。って、何が書きたいのだっけ、別にいまの評論家の先生方がいけないということはないけれど、さて、いまどういう先生方が居られるのでしょうか? よく知らなくていけない。よくは知らないのだが、片山さんに白石美雪さんとか(評論家ではないけれど)青柳いづみこさんあたりは気になりますかねえ。