J・M・クッツェー『マイケル・K』

晴。
音楽を聴く。■モーツァルト:ピアノ協奏曲第二十三番K.488(バレンボイム)。■ヘンデル:フルート・ソナタop.1-4(ギレリス、アレクサンドル・コルネーエフ)。

Legacy 4

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早朝出勤。

J・M・クッツェー『マイケル・K』読了。クッツェーは初めて読む。インパクトはあり、ぐいぐいと読まされたが、それにしても悲惨な話だった。ラストは主人公の死で終っているわけではないが、だからと云って救いがあるとは思えない。それに、ラスト近くで主人公に性行為をさせるのは、ちょっと残酷に感じた。ってこれでは何が何だかわからないと思うが、詳しい説明をするような気にあまりなれない。舞台は内戦下の南アフリカであり、主人公は障害者の有色人種である。母親と共に最下層階級に属し、病気の母親は本書の始めの方で、主人公がそばに居るのもかかわらず、野垂れ死にのような最後を迎える。主人公のマイケルは身体的障害に加え、知的障害があるようで、母親が死んだ後は、内戦にわけもわからず振り回されることになる。本書はそのマイケルの緩慢な死への行進を延々と書いたものだと云えよう。本書は基本的にマイケルの視点で書かれるが、一人称小説とは云えないかも知れない。途中で若い医者による視点が挿入されるが、彼が感じたように、マイケルという存在は、確かにある種のインパクトがあり、気になる存在ではある。原初の存在が、国家というものに雁字搦めになっている現代に降臨したら、いったいどうなるかというような。マイケルは、国家も内戦も理解できない。それらが「越境」を許さないことが、どうしても理解できないのだ。マイケルの没落は、現代におけるアナーキズムの不可能性を証明しているようにも読める。
 本書は、ノーベル賞受賞作家であるクッツェーの、代表作のひとつであるようだ。どうやらマイケルは想像力の産物のようであるが、それはむしろ作家の卓越を示すものであろう。世界にはまだまだ、リアリズムで傑作が書ける題材が尽きていないようだ。当事者たちには、それは悲惨を意味するのかも知れないのだが。
マイケル・K (岩波文庫)

マイケル・K (岩波文庫)