まつもとゆきひろ監修『ネットを支えるオープンソース』

晴。酷暑。
早朝出勤。
珈琲工房ひぐち北一色店にて昼食。オムカレーセット。ここは珈琲が特においしい。アイスコーヒーに満足。意外と安いし。Wi-Fiも無料接続(FREESPOT)。
県図書館。
夜、中日vs巨人戦をテレビで見ていたのだが、福谷の体たらくに家族全員激怒。今日は勝ったと思ったのだがなあ。これでドラゴンズは八連敗だが、負け方が悪すぎる。もう福谷は抑えで使えません。って煩悩の塊。

一日中スクリャービンの op.42-5 が頭の中をぐるぐる。この曲がまともに弾けるピアニストって、いまどれくらい居るかな。僕レヴェルだと、楽譜で追いかけているだけで頭がくらくらしてくるくらい複雑だ。まあでも、技術的にはクリアする人は少なくないだろうけれど、僕はリヒテルとかホロヴィッツくらいでないとなかなか満足できない。心の中で反芻しているだけで切なくなってくる曲。昔のピアニストだと、技術的にはダメなのだけれど聴かせるというのもあったが。

図書館から借りてきた、まつもとゆきひろ監修『ネットを支えるオープンソース』読了。玉石混交の論文集。瀧田佐登子氏のブラウザの歴史や、吉岡弘隆氏のハッカー精神について、やまねひでき氏の OSSライセンスの基本などの論文が個人的にはおもしろかった。今の僕のような素人プログラミングでも、オープンソースという発想の豊かな果実でやっているようなものである。こういう(プログラミングに関しては)周辺的な知識もおもしろい。色々やってみると自分はプログラミングにはあまり適性がないことがわかってきたが、それとプログラミングの楽しさは別である。プログラミングはおもしろい。コンピュータに命令するだけで何がおもしろいのと思われるかも知れないが、これには確実に独特の楽しみがある。それは、他にちょっと比べるものがないような楽しみだ。もちろん何かを作る喜びだとか、上手く動いたときの喜び、他人の役に立つ喜び、学ぶ喜び、自分の能力にひたる喜びなど、色々あるだろうが、それ以上に何かあると思う。不思議な感覚で、どうも上手く云えない。考える楽しみと、ちょっと似ているような気がする。

角川インターネット講座 (2) ネットを支えるオープンソース ソフトウェアの進化

角川インターネット講座 (2) ネットを支えるオープンソース ソフトウェアの進化


「世界のどの国も平和を希求しており、しかしそれでも軍隊をもっている。日本もそれと同じである」という意見がある。至極真っ当な意見で、僕も正しいと思う。しかし、それなのに世界からは一向に戦争がなくならない。誤った判断により世界で最新鋭の装備を以て或る国家を攻撃し、その最高指導者を裁判にもかけずに殺害し、その戦争の根拠が誤りであったとわかったのちも謝罪のひとつもないという国まで、世界に存在する。その国こそが、「世界の警察」とまで呼ばれているのだ。最初に挙げた意見が正しいとすれば、どうしてこういうことになるのか、自分にはよくわからない。単純に言って、平和を希求していない国は世界にないのに、どうして戦争はなくならないのか。
 論理的に考えれば、答えは一応出る。すなわち、「平和を希求していない国は世界にない」という命題が誤りであると。では、かかる国はどこであるのか。また、日本はどうであるのか。
 まあ、これは思考実験である。自分は、理想論にもリアル・ポリティクスにもいずれもさほど深甚な興味はもてない。それよりも、人を殺すということを色々考えると、底なしであるように思える。恐らくどのような時代になっても、人を殺すということが無くなることはない。また、殺されるということも。これはシンプルだが、忘れられてはならない問いではないか。答えは出ないであろうが、常に考えられるべきであるという。