町田康『猫のよびごえ』/『ドゥルーズ・コレクション2 権力/芸術』

晴。驟雨。
早朝出勤。
コメダ珈琲岐阜駅東店にて昼食。

図書館から借りてきた、町田康『猫のよびごえ』読了。大人気猫エッセイ。おもしろいなあ。町田さんも奥さんも、放っておくと死んでしまう猫は捨てておけない。これ、当り前でないどころか、何とかと寄ってくる猫を虐待する人間の少なくないことが、このエッセイ集からも(間接的に)わかる。どの子たちも、肉体的に(時には精神的にも)ひどい状態で飼うことになるからだ。だから、本書は殆ど全編苦労話なのだが、それでも町田さんたちは猫が好きなのだよね。楽しそうにやっているし、だから読むのも楽しい。(死ぬところはホントにかわいそうだけれど、生き物を飼うからにはどうしても避けられない。)昨日も書いたけれど、文章の力も全開。きっと笑ってしまう、素晴らしく生き生きとした文章です。このシリーズは、特に続きが楽しみ。それから、積ん読の小説もそのうち読まないと。

猫のよびごえ

猫のよびごえ

河出文庫版『ドゥルーズ・コレクション2 権力/芸術』読了。「コレクション1」の時と同じ感想だが、二〇年あまりドゥルーズを読んできて、最近ようやくそのおもしろさが少しづつわかってきて、呆然とさせられる。ドゥルーズってこんなにおもしろかったのか。おもしろいのだが、自分の能力不足で、中身がしっかりわかったと云えないところは残念。だからまあ、他人に教えられるようなことは何も云えないが、自分なりに考える。ドゥルーズはもちろんものすごく頭がいいのだが、その頭のよさと豊かな「感情」が融け合って、完全に一体化している。だから、翻訳で読んでも、文章がとても魅力的だ。もしこれからドゥルーズを読む人が居るとすれば、だからその文章の魅力がわかるように注意して読んでみるといいのではないか。暗号を解読するような読み方は、その後でいいと思う。本書はドゥルーズとしては、かなり易しい目の文章が収められているので、ここから読み始めてもよいのではないか。
 しかし、そのおもしろさに気づくのにこんなにかかってしまったのは、能力不足が第一にせよ、自分が田舎者のせいもあるなあと思う。ドゥルーズは当時の先端の思想、文学、音楽、美術、映画等々の中心近くに居たので、そこいらへの自分の感性がなかったわけだ。けれども、一度わかれば、もちろん田舎者でも読めると確信しているし、それにたぶん、インターネットの存在も大きいのであろう。だから、今の若い人なら、感覚的にドゥルーズがすぐにわかってしまっても、ちっとも不思議ではない。自分は二〇年くらい遅れているのである。若い人は、是非読んでみるといいと思う。今を見渡すと、なかなかこんな人は(世界的にも)殆どいなくなった。ドゥルーズを読むのは、決して時代遅れではない筈である。しかし、ちょっとつぶやくけれど、積極的に堕落してきたが、結局こんなものなのかなという気もこのところしてきた。まあ、わかっていないだけかも知れないが、若い人たちの虚無も、新鮮さをあまり感じなくなってきた。先端はすごくハイセンスなのだけれど、(例えばドゥルーズ的に)あんまりぶっ飛んでいないような…。変な話だが、近年の山下達郎のことを考えることがある。自分は山下達郎は最初期が好きだし、また客観的に見てもそこがいちばんリスペクトされていると思うが、もはや天才的ではなくとも、やはり近年の山下達郎は依然として随分と前の方を歩いているのだなあというのが見えてきた。これは自分勝手な感想で、僕はポピュラー音楽はよく知らないから、人の参考にはならないだろうが。
 僕はダラダラといつまでもネットを見ていることができるが、そこで皆もっと異質なものを接続していった方がいいのではないかなどと思えてきたりすることがある。例えば Tumblr でエロなのかクールなのか、これはかっこええなあと思うことが時々あって、それはそれですごく感心するけれど、たぶん、オシャレでハイセンスなだけでは、突き抜けられないとも思うのだ。結局スカしてんだけじゃねえの? という疑問がどうしても浮かんでしまうのである。我々の世代は完全に失敗だったが、同じ轍を踏んで欲しくない。
 それから、そこにオタクを混ぜても無駄である、というか、オタクは既にインフラになっているので、混ぜるというのは正しくないし、無意味。煮詰まっているなあと思う。これをさらに突き抜ければ偉大だが、でなければ、ここに安住するとすれば、それはつまらないし、飽きてくるしかない。さて、どうするか?
 それから、全能感があって口はいくらでもまわるが、感受性の幅が狭いと。これじゃあインターネットの意味がないような。誤解ならば幸い。

上とは関係ないけれど。

こういうのって、今の人はどう聴くのだろう。まあ、僕の世代でも誰も聴いていなかったが。ダサい? 僕は聴いているとしんみりしてしまう。ちなみに、You Tube でのコメントに、聴いているうちに五〇年過ぎたとか、オレ六二とか書いてあって、(まあそこまで歳ではないけれど)笑えない。