晴。
音楽を聴く。■ブラームス:弦楽四重奏曲第二番op.51-2(アマデウスQ)。ブラームスの弦楽四重奏曲というと、自分は第一番をまず聴きがちなのであるが、どういうわけか第二番が聴きたくなった。ブラームスの古臭さが自分に合っているのかなあなと思う。アマデウスQは意外にシャープだった。
The String Quartets/Dvorak: Quartet, Op. 96
- アーティスト: Amadeus Qt,Antonín Dvorák,Johannes Brahms
- 出版社/メーカー: Dg Imports
- 発売日: 1998/03/17
- メディア: CD
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クララ・シューマンのピアノ(Clara Schumann's Piano)
- アーティスト: オイゲニーエ・ルッソ,クララ・シューマン
- 出版社/メーカー: paladino
- 発売日: 2014/02/05
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いまライプニッツの解説本を読んでいるのだが、(これは以前からのことだけれども)まったく理解に苦しむ。モナドの間には相互作用がなく、各モナドは全宇宙を含んでいる。それではモナド A とモナド B が人間である場合、A が B を殺したらどうなるか。モナド A は全宇宙を含んでいるのだから B を殺すことができるが、そうしたとして、モナド B には影響がない。A と B の間には一切の相互作用がないのだから。これは矛盾である。もしかしたら自分のライプニッツに関する理解が間違っているのかも知れない。こんな矛盾は誰にでもすぐ考えつくから、たぶん間違っているのだろう。
恐らく、モナドを人間として捉えたのがおかしいのだろう。そうではなくて、人間は多数のモナドの集合体ということなのだろう。それで云うと、臓器や細胞もモナドではあり得ない。そうしてしまうと、個体レヴェルと細胞レヴェルを区別する理由がわからなくなる。例えば単細胞生物というものが存在するので。そうするとやはり、モナドは現代物理学でいう原子・素粒子やクォークのようなものであろうか。とすれば、モナドロジーの現代的意義は存在しないことになる。ライプニッツの実体概念は、ことごとく(特に)量子力学に反するから。例えば、同種の量子は互いに区別できない。これは統計的事実から導かれる。しかるにモナドは、個性を持っているのである。そしてさらに、相互作用を拒否しているのも致命的だ。また、量子に大きさはない。これもライプニッツの批判が成り立たないことを示す。ライプニッツは点状の粒子を認めないからである。
たぶん、モナドは原子でもクォークでもないのであろう。しかし、とすると、自分にはモナドが何なのか、さっぱりわからない。例えば、肉体を表すモナド、「私」という精神を表すモナド…。これって何なのですか? モナドの階層…? 肉体を表すモナドと精神を表すモナドは相互作用がないので、ここでも「殺す」ということはどう説明されるのか。精神が「殺す」としたところと、肉体の崩壊は単に並行現象であり、何の関係もないとライプニッツなら言うであろう。しかし、これって極めて無理があるよね。と自分は思うのだが。ライプニッツの言うとおりなら、ナイフで刺して浴びた返り血の飛沫の知覚は、単にそう「見える」だけのことで、相手の肉体の物理的な傷とは関係がない。でもこれって、説明になるの?
フランクリン・パーキンズ『ライプニッツ』読了。本書を読んでの妄想は、上に記したとおり。結局、全能の超越神などというものを考えると、事態がどれくら紛糾するかをライプニッツの哲学(あるいは神学)は物語っているような気がする。決しておもしろくないことはない。こういう屁理屈を考えることで、キリスト教世界は徹底して精緻な議論、さらには科学まで生み出したのだ。屁理屈恐るべし。
- 作者: フランクリン・パーキンズ,梅原宏司,川口典成
- 出版社/メーカー: 講談社
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- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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