高瀬正仁訳・解説『ガウスの《数学日記》』

晴。
音楽を聴く。■ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第四番op.58(ポリーニベーム 1976)。ポリーニに感動するって、何なのだろうなあ。ポリーニについてはよく、現代音楽の感覚で古典を演奏するピアニストみたいなことが云われるが、僕はそれは、指揮者ブーレーズにぴったり当て嵌まる言葉だと思う。例えば完璧さの追求。しかし、師匠のミケランジェリも完璧を追求したが、またそれとはちがう。ポリーニは伝説のショパン・コンクールの頃の演奏を聴いてもわかるように、子供みたいな頃から恐ろしいほどの才能をもっていたが、それを徹底して研鑽して、神的な領域まで己を創り上げてしまった。殆ど悲劇的な感じがする所以である。少なくともここには「音楽の楽しみ」みたいなものは殆ど見当たらないが、そういうポリーニこそが、僕を音楽の魔力に目覚めさせてしまったのだから、芸術というのはむずかしい。まあしかし、結局聴くのは七〇年代の録音が殆どで、それ以降は誰かが云っていたが、ポリーニは完璧を追求しすぎて、「気が狂った」(?)と云えないこともない。最近の録音は、完璧ではあるのだが、壊れていて聴くのがつらい。しかし、こんな時代でも芸術のデーモンというのはあるのだから、不思議なものである。

図書館から借りてきた、高瀬正仁訳・解説『ガウスの《数学日記》』にざっと目を通す。内容的には僕には猫に小判であるけれども、じつにおもしろかった。ガウスの「数学日記」は日本では高木貞治先生が紹介されていることもあって、よく知られていると思う。目を通してみて驚いたのは、この日記の記述があまりにも断片的であること。判じ物みたいなものも少なくなく、著者は苦労して読解を試みている。「GEGANを征服した」など、誰にもまったくわからないものもある。けれども、全体的にガウスの若い頃から中年にかけての歩みを照射してくれる貴重な文献で、数論と楕円関数論が二本の柱であろうか。本書の解説部分には高木貞治先生の『近世数学史談』への言及が多く、再読したくなったし、他にも参照したい本が何冊か出てきた。それにしても、高瀬先生の仕事は自分にはじつに貴重に感じられる。初学者の心に火を付けるところがある。

ガウスの《数学日記》

ガウスの《数学日記》