AKB48について/河合隼雄『河合隼雄の読書人生』

日曜日。曇。
何だかダラーっと過ごす。図書館。
市民公園にて。三、四歳くらいかな、小さな女の子が70cmくらいはある花壇の上に登って、ジャンプ! 目の前だったのでヒヤッとした。ばちんと尻もちをついて、ニコリとしてダーッと走って行ったのでホッとした。あとは噴水にさわったりで、親はどこにいるのか。お嬢ちゃん、冒険でしたね。

音楽を聴く。■モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第四十三番K.547(イザベル・ファン・クーレン、ロナルド・ブラウティハム)。ホントにいい曲だな。特に終楽章に深く感動。クーレンってヴァイオリニストはよく知らないけれど、素直に弾いていてすごくいい。

id:SHADEさんのブログを見ていたら、AKB48についての駄文が叱られていて、「イタタ」という感じだった。なるほどなーと思いました。僕も、AKB48のみならず、今のアイドルたちに生きる元気をもらっている人たちがたくさん居ることは知っているし、そういう人たちを非難しているわけではまったくないのだよね。でも、僕はもてないおっさんだからよく知っているけれど、AKB48的な現象というのは、時にはもてないおっさん的な視点から見た方がいいとも思うわけ。まあ、裏面というかね。AKB的な現象を危うく思うとか、健全とは思えないという見方をしている人が、世の中にはいっぱい居ることも知っておいたほうがいいと思うし、敢て云えば、そういう視点にも一抹の真実があると思うわけです。例えばAKB48が好きな人たちは、秋元康という存在をどう捉えるのかな? あれは、そう単純な人物ではないですよ(おニャン子クラブって知っているかな?)。そして、アイドルというのがひとつの収益システムであるのは間違いないよね。例えば、投票券という形でCDを売るシステム。また、AKBとかSKEとかの元メンバーやら研究生やらがAVに落ちてきて、それが圧倒的に支持されている事実とかは、きたない大人のやることかな? いや、いかにもおっさん的な視点で恥ずかしいですけれどね。
 それから、今のAKB48的なアイドルのあり方ですけれど、今の小中学生たちはまたちがった見方をしているようですよ。まあ詳しくは敢て言いませんけれども、僕は彼ら彼女らの見方に影響を受けているところもあります。ただ、僕は基本的にアイドルにはそれほど興味はないので、そういう人はあまり余計な発言はしないほうがよかったかも。ペコリ。
 蛇足しておこうか迷ったのだが。敢てリンクしないけれど、例えば「AKB48 下着」でぐぐってみて下さい(セーフサーチは外してね)。これらって、アイドルたちがきたない大人にイヤイヤやらされているのでしょうか? ちなみに、僕はすれっからしのおっさんなので、これらを見たからといってどうということはないです。また、こういうのは昔からあるもので、別にいいとも悪いとも思いません。でも、これらがセックスや金銭と関係がないとも思いません。で、なに、と言われればそれまでですが。
 あと、これはつぶやきだが、女の子たちはAKB48みたいなのをどう捉えているのか。それこそ自分にはわからない。憧れの存在なのか。勇気づけられる存在なのか。「きもちわるい」と言った女の子を知っているが、それは嫉妬なのか、どうなのか。また余計なことを書いたか。
 うーん、読んでみるかなあ…。これを読んで、AKB48のことがわかるのだろうか。

前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)

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 色々ぐぐっていてハッとしたのだが、そういえば AKB48って「恋愛禁止」だったな。まあ理由はあまりにも明白だが、よくそんなルールを課すなあ。アイドルなのだから当り前? しかし、妙齢のかわいい女の子たちに「恋愛するな」って、無理だし不自然じゃないか? 秋元はおニャン子のメンバーと結婚したくせに。
AKB商法に見る日本人男性の性癖 - ライブドアニュース
こうなると文化論になってくる。「外国人には『応援する』と『育てる』が混ざった感情がなかなかわかりにくい」確かにそうだろうな。日本では平安時代からやっているが。もちろん、光源氏が紫の上を拉致してきて育てたことです。しかし光源氏、紫の上をちゃんと正妻にしてやれよ。それにしても紫式部は何を考えて、メソメソと泣いてばかりいる、ロボットみたいな女三宮光源氏の正妻にするという展開にしたのか。で光源氏はめっちゃ後悔するとか、当り前だし。
 そう云えば、昔プリンセスメーカーなんてゲームがあったね(歳がわかる^^;)。今ならアイドルマスターか。


しかし、結局自分は「AKB48をよく知らないし、またどうでもいい」ということに尽きそうだな。ダラダラと書いてきたが、不愉快に思われた方は御海容を。
 結論みたいなものですが、AKB48の下着姿や握手会が男性の欲望と関係がないとすれば、自分にはとても意外です。また、アイドルを育てるというのは、極めて「マザコン的な(母性的な)」男性の欲望ではないというのでしょうか。もしそれらが正しいのなら、自分の誤りを素直に認めねばならないでしょう。自分にはアイドルがセックス産業だというのは、特に驚くべき意見だとは思えないのですが。

河合隼雄河合隼雄の読書人生』読了。著者の本は殆ど読んだと思っていたのだが、まだこんな本があったとは。とても多くのことを考えさせられた。河合隼雄はファンも多い一方で、かしこい方たちからは往々にして馬鹿にされてもいる。僕は著者の本は、学生の頃から一貫して愛読してきたし、たぶんすごく影響を受けているとも思う。河合先生の本を読んでいると、いつも「豊かだなあ」と思ってきたし、本書でもつくづくそう思った。ちょっとどういう「豊かさ」なのか、言語化しにくいが。まず真似したくて真似できないのが、河合先生のユーモア。いやユーモアというか、本書も読んでいるととにかく笑えて仕方がない。それから、別に卑下するわけでも何でもなく、自分の心はまだまだ貧しいと思うが、それは無人に近い中間地帯の荒野を耕しているからで、已むを得ないところもあるのだろうと思う。河合先生も、そうした中間地帯の開拓者であり、それで豊かな成果を収められた。まあ才能が自分とはまったくちがうわけだが、少しづつでも進めていきたいものだと思う。「現代思想」というとイメージ批判はその役割のひとつだが、それにも関わらず、僕は河合先生の仰るとおり、イメージはとても大切なものだと思っている。ただ、なかなか新たなイメージというものを作り出すのはむずかしく、そうしたことのできる才能の下拵えくらいでもできたらいいのだが。
 また本書を読んでいて、「神話」ということも思い出した。上のAKB48なども、神話的現象ですよね。神話というのは心の非常に深いところにまで関係している。自分の心も、自分なりに少しづつ深めていきたいのだが、こればっかりはクリックして実行というわけにはいかないので。ただ、心が貧しくなっているのは自分だけではないのだよね。日本人は本当にそれに無自覚だと思う。本当に、中間地帯の荒野を何とかしないといけない。河合先生の仕事は、その意味でも極めて重要だと思う。これはどれだけ強調してもしすぎることはない。本書の最後の最後に、「中空均衡も面白いし、中心統合も面白い、どちらもやれということです」(p.243)なんてさらりと仰られているけれど、困ってしまう。これって本当にむずかしいですよ。これは多神教一神教を両方やれ、というのと同じだし、西洋も東洋も両方やれということでしょう。こういう凄いことをやってこられた方々は日本人に少なくなかったけれど、もう殆どが亡くなられてしまったな。今では反動がきている。こういう点では、僕らの世代もダメだったし、正直言って若い人たちにも全面的な期待はしていない。事態は悪化しているようにも見える。でもまあ、微力でもやれるだけのことはしないとね。