鷲田清一『悲鳴をあげる身体』

曇。


時々こういう古い曲が聴きたくなる。まあ古いだけなら、クラシックの曲などもっと古いけれど。
音楽を聴く。■ドビュッシー子供の領分パスカル・ロジェ参照)。クラシック音楽で最もおシャレなのがドビュッシーかな。それにしても、パスカル・ロジェドビュッシー、じつに素晴らしい。ドビュッシーが好きな人は、是非聴いてみて下さい。■■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第十五番op.28(グールド 1979)。この曲が聴きたくなったのだが、なかなか今の自分にしっくりくるものがない。アラウ→ペライアポリーニバックハウスとスキップして、グールドでようやく落ち着いた。もちろん、スキップした演奏がいけないかというと、そういうわけではありませんよ。あくまでも、今の精神状態の自分にとってなので。この曲は終楽章が魔術的。妖精が輪舞しているかのよう。■シュニトケ:ヴァイオリン協奏曲第二番(クレーメル、クリストフ・エッシェンバッハ参照)。

鷲田清一『悲鳴をあげる身体』読了。いいのだが、話が纏まりを欠いていて、脈絡がわかりにくい。まあ、すっきりと纏まっていないのは、もしかしたら長所かも知れないが。個人的に身体について思うのは、今の子供たちは遊びで体を動かすことが少なくて、だから学校が「部活」をうるさく言って、それを補償しているということである。今の子供たちの身体性は、スポーツとコンピュータ・ゲームがその両輪なのだ。これからもその傾向は強まるだけだろう。アナーキーに身体を動かすということが、現代では(大人でも)むずかしい。

悲鳴をあげる身体 (PHP新書)

悲鳴をあげる身体 (PHP新書)

あれ、この本は以前にも読んでいたようだな(参照)。ブログの功徳(?)だ。