池澤夏樹『虹の彼方に』

日曜日。雨。
Ruby 遊び。副産物で、Windows の効果音を鳴らすプログラムを組んでみる(参照)。
有線接続でネット環境が超快適になったため、ついネットで遊んでしまう。
図書館。新境川堤の桜は五分咲きくらいか。雨でもあるし、まだ人は出ていなかった。
しかし、シーズンがまだ始まったばかりではあるが、中日ドラゴンズは終っているな。ファンとしては、今年はどうかと思ったのだが。毎日自滅している。谷繁監督はさぞや頭が痛いことだろう。中継ぎ以降が崩れ切っているので、これから先発に負担が掛かってくるにちがいない。ってアホですね、こんなことを書いて。
 甲子園でも県岐阜商が負けました。サッカー FC岐阜も頗る弱いし。
慈悲でありますな。

図書館から借りてきた、池澤夏樹『虹の彼方に』読了。うーん、こういうオシャレで爽やかな文体で政治を語るって、どういうものなのだろう。正直言って、この本の半分は、陳腐な紋切型ではないだろうか。読ませるところがないではない。特に本書に収められた文章が書かれた頃、著者は沖縄に住んでいたので、それによる文章の緊張感はある。また、ナチスゲーリングの発言として、「…そして、国民は嬉々として、あるいは唯々諾々と、指導者の命令に従うものだ。むずかしいことではない。まず、きみたちは攻撃されていると述べ、平和主義者に対しては愛国心の欠如を指摘して国を陥れていると非難すればいい。この方法はどんな国でも有効である」というものを引用していたのには、とても驚かされた。まさしく今の日本(だけではないが)の状況は、これに近いではないか。けれども、「…日本人は、シャレや冗談や比喩ではなく、急速にサル化している。この仮説を当てはめてみると、ケータイやベタ靴とあぐらだけでなく、マザコン、ひきこもり、非婚やパラサイト・シングルの増加、更に少子化までがきれいに解ける」と云い、彼らは「餌付けされたサル」であると断定されている(p.170-171)が、悲しいことである。まあマザコンもそうかも知れないし、ひきこもり、非婚、パラサイト・シングル、皆自分のことではないか。餌付けされたサル…。まあ、仕方がない。そうなのであろう。
 ところで、中に鈴木宗男氏への恥知らずな揶揄があるが、これは軽蔑に値するのではないか。マスコミが書いているいい加減な記事の尻馬に乗って、軽薄なバッシングをしている(p.98-99)。「知識人」が、こういう判断停止でいいのだろうか。あとがきで懺悔しているが、それだけで済むことなのか。殆ど致命的なミスなのではあるまいか。というか、著者の本性が出ているのだと思う。
 それから本書で気になったのは、著者がパトリシア・コーンウェルの政治的信条が気に入らないということで、以来一切コーンウェルの本を読まなくなったとあるところだ。僕は例えば池澤夏樹はさほど好きではないが、そういう人の文章も読もうとは思っている。だいたい、その方がきっと修行になるよ。馬鹿になる簡単な方法のひとつとして、自分の好きな意見だけ聞いているというのがあるから。前にも書いたけれど、インターネットのいいところは、自分のとちがう意見に簡単に接せられることだと思う。ということで、また池澤夏樹は読むでしょう。

ちょっと思ったのだが、政治家が清廉潔白であるというのは、別に悪いことではない。そうできればそうした方がよいのだろう。しかし、こんなことは当り前だが、政治家にいちばん大切なのは清廉潔白であることではないだろう。だからと云って、賄賂でもなんでもよしということではなくて、まあ、私利私欲に捕われる政治家というのは、所詮二流以下である。政治家はむしろ、金銭欲よりも権力欲の方が問題になるだろう。右翼でも左翼でも、それは同じことである。権力欲をコントロールできる人間が少ないからこそ、一流の政治家も少ないのである。