ガタリ『三つのエコロジー』

晴。
音楽を聴く。■ショパンノクターンop.9-1, 9-2, 9-3, 15-1, 15-2, 15-3, 27-1, 27-2(サンソン・フランソワ参照)。これぞショパンという演奏。■ベートーヴェン交響曲第九番op.125(ラトル、参照)。ものすごい違和感だった。一瞬たりとも心を動かされたところはない。客観的に聴けばそんなに悪くない筈なのだが、まったくダメだった。聴いていて、「第九」ってこんな曲だったかという感覚に襲われ続けた。この名曲中の名曲を、こんな感じで聴くのはつらい。もちろんこれは、ラトルが悪いとは限らない。自分が悪いのかラトルが悪いのかもよくわからなかった。理不尽な七〇分間だったことである。■ブラームスクラリネット三重奏曲op.114 (ホアン・エンリク・ルナ、ルイス・クラレット、ヨセプ・コロン、参照)。ブラームス晩年のクラリネットのための室内楽は、どれも好きだな。中でも、この曲がいちばん充実しているのではないか。この演奏は、曲を楽しむのに充分なレヴェル。

フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』再読了。こんなことが書かれてあったのかと思った。エコロジーは科学技術だけを考えればいいというものではない。社会的側面のエコロジー、また我々の意識変化としてのエコロジー、こうした三つが絡み合って考察されることで、真のエコロジーになると云うのだ。ガタリはこれを、「エコゾフィー」と名づけている。特に社会的側面。養老孟司先生は、環境問題は政治問題であると喝破されたが、これとガタリの言っていることはよく似ている。エコロジー発展途上国、一方でエコロジーと大国の問題もある(環境問題に消極的なアメリカと中国)。また、我々個人はエコロジーとどう関わるのか。エコ生活、エコツアー、色々あるが、これらはどういうエコロジーなのか。ただの自己満足でないエコ生活は、そう簡単なことではないのではないか。
 本書はガタリの本にしてはまだ読みやすいものであろうが、中身は果たしてやさしいとはとても云えない。ガタリのエッセンスが詰った本だとも云えよう。またいつか再読してみたいと思う。

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)

三つのエコロジー (平凡社ライブラリー)

ダンテを読む。

20m の LANケーブル落手。このところメイン機の Wi-Fi ネット接続の調子が悪くて、相当にストレスのかかる状況だったので、有線接続に切り替えることにしたのだった。無線親機は一階にあって、僕の部屋は二階なので、長い LANケーブルを買ったわけである。仕事から帰って夜遅くにゴソゴソ配線し、接続してみたところ、素晴らしい速度になった。ほぼストレスなし。もっと早くからやっておけばよかった。結局これが、簡単にネット接続を速くする方法ではいちばんなのではないか。ネット接続の設定も一切いらない。LANケーブルで繋ぐだけで簡単に接続する。やっほー。ついでに無線のマウスも購入。これも、こんなに安いならさっさと買っておけばよかった。