宇野弘蔵『資本論に学ぶ』

晴。
音楽を聴く。■バッハ:ピアノ協奏曲第五番BWV1056、第六番BWV1057(シフ、参照)。ようやくシフがわかってきた。ダメなのは自分の方だったか。■ドビュッシー映像第一集、第二集(パスカル・ロジェ参照)。何とも美しい! 心を鷲掴みにされてしまった。特に「葉ずえを渡る鐘」は魔術的。ドビュッシーを「印象派」なんて云うと、ベタで反発したくなるが、これはその「印象派」として弾いて大成功しているのだから仕方がない。残りを聴くのがじつに楽しみになってきた。■■ベートーヴェン弦楽四重奏曲第十六番op.135(エマーソンSQ、参照)。この曲、ベートーヴェンの主要作品中ではほぼ最後に近いものであるが、じつに変な曲だ。ここでベートーヴェンは次の段階に入ろうとしていて、その小手試しに書かれたのだと思う。この先がもしあったのなら、さらにどんな曲が書かれたのだろうか。そんなことをつい思わせる。エマーソンSQはまずまず。ベートーヴェンでの軽さはここではあまり目立たない。ショスタコーヴィチほど素晴らしくはないですけれど。もちろんエマーソンSQは、実力はありますよ。現代を代表する弦楽四重奏団のひとつであることは間違いない。

宇野弘蔵資本論に学ぶ』読了。予断を裏切られた。何だかユーモラスなくらい。しかし、射程は大きい。しかし、日本を動かす人材を出す東京大学の経済学部を牛耳って(?)いたのがマルクス主義だったとは、不思議な国だったな、日本は。資本主義を理解するツールを大学で学んだ人間が、例えば官僚になるとして、それが何の意味もないとは思えない、佐藤優の云うとおり。だいたい、この大きな射程を持った宇野理論に大学時代に接するだけでも、深層心理的にもちがうだろう。