プルースト『楽しみと日々』

晴。
音楽を聴く。■シューベルトアルペジオーネ・ソナタ(エルンスト・シモン・グラーセル、リヴ・グラーセル)。聴き始めた瞬間、みすぼらしい響きにいきなりガッカリさせられる。フォルテ・ピアノというのは、どうしてこう響きが貧弱なのか。チェロは現代楽器のようだが、輝かしい音とは到底云えない。…ではあるが、曲はまた何という名曲であろうか。恐らく、チェロのための曲(本当はアルペジオーネという、全然流行らなかった楽器のための曲であるけれども)としては、自分のもっとも好きな曲なのではないか。ただ、名曲すぎて、あまり聴けない。「冬の旅」なんかもそうだが。空恐ろしくなってくるのである。過去の演奏では、ロストロポーヴィチブリテンの、これ以上はあるまいという名演が残されている。さて、これであるが、曲のよさに引きずられて、集中力を切らさずに聴いてしまいました。ホント名曲。

Schubert & Schumann

Schubert & Schumann

ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第一番op.78(ムター、ワイセンベルク)。シューベルトに続いて、ロマンティックな曲が聴きたくなったので。ムターは素直な音楽性とコクのある音をもった、スタンダードなヴァイオリニストである。ワイセンベルクも名手で、これこそ一流の演奏と云うべきであろう。好き嫌いを超えている。自分は好きな方に手を挙げよう。しかし、ヴァイオリン・ソナタというと、この曲ばかり聴いていますね。
ブラームス:ヴァイオリンソナタ全集

ブラームス:ヴァイオリンソナタ全集

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第一番op.10(アルゲリッチ、アレクサンドル・ラビノヴィチ=バラコフスキー、参照)。魔術的。アルゲリッチは、昔より今の方がいいような気がする。昔は聴衆のことをまったく考えていなかったと思うが、今は余裕が出た上に、アグレッシブさは変わらない。それに、この曲でもバリバリ弾く若手はたくさんいるだろうが、結局超一流って何だろうというところに逢着する。恐らく、瞬間瞬間の創造性なのだろうな。■シューマン:蝶々op.2(ル・サージュ)。相変わらず見事な、ル・サージュのシューマン。ファンタジック。現代のシューマン弾きだ。
Schumann: An Clara-Klavierwerke

Schumann: An Clara-Klavierwerke


プルースト『楽しみと日々』読了。岩崎力訳。かつて福武文庫で窪田般彌訳を読んだ筈だが、まったく覚えていなかった。本書は確実に若書きで、例えば死は、二十歳のプルーストがここで書いているようなものではないと思うが、感受性は既に自分の届かないところにある。訳者解説にもあるとおり、プルーストが本書だけで消えていれば、文学史にまったく残らなかったであろうが、『失われた時を求めて』の作者の若書きであるとすれば、興味深いところはある。特に恋愛、また彼の特殊な性癖については、極めて鋭いところが見られる。それから、社交界スノビズムについて。まあ自分にはこれらはあまり興味がもてず、実際『失われた時を求めて』も学生のとき読んで一定の感銘を受けたことは確かだが、それほど好きな作品とは云えない。でも、西洋の作家はどうしてこう社交界を描くのが好きなのかね。あれが洗練の原因だからか。うーん、三島由紀夫でもなし、いまひとつ興味がわかないなあ。日本のダサい私小説の方が、アジア的、土着的で、おもしろいところがあるとも思うのだが。まあ、プルーストのすべては、社交界とその周辺にあるわけだ。おシャレ?
 しかし、アナトール・フランスに大変影響を受けて、序文まで書いてもらっているのに、作品の中でアナトール・フランスは文章はうまいが、考える力は弱いとはっきり書いているのだから、既に辛辣で意地悪ですよね。もちろんフランスは知っていたであろうが、オトナの対応である。
楽しみと日々 (福武文庫)

楽しみと日々 (福武文庫)