佐々木克『幕末史』

朝起きたら、雪! どうりで寒い筈だ。のち霙。
音楽を聴く。■バッハ:イタリア協奏曲BWV971、半音階的幻想曲とフーガBWV903(ワイセンベルク参照)。変ったバッハだが、段々慣れてきた。ここでの半音階的幻想曲とフーガは聴いていておもしろい。半音階的幻想曲はバッハの中では特異な曲で、グールドなどは嫌っており、フーガの部分の録音を残していないくらいである。ピアニストによって解釈が大きく異なる曲で、そのあたりが聴き所でもあろう。僕はエデルマンの録音に感動したことがある。ワイセンベルクには合っているようで、フーガはこれまででいちばん説得的だった。イタリア協奏曲の演奏は、あまり感心しない。演奏効果を狙いすぎていると思う。■ハイドン:ピアノ・ソナタ ト短調 Hob.XVI:44、ショパン:バラード第三番、ドビュッシー前奏曲第一巻〜帆、野を渡る風、アナカプリの丘、プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第八番(リヒテル参照)。1961年のライブ録音。どれも超一流の演奏である(それにしても、何というピアノの音の美しさであろうか)。完璧。特にプロコフィエフが凄い。リヒテルはこの曲の録音を多く残しているが、自分もプロコフィエフソナタの中では、有名な第七番以上に好きだ。終楽章などは、まったく心臓に悪いくらい。リヒテルはここでも、超絶的な技術で入魂の演奏を繰り広げている。聴き出したら止められず、一気に一枚聴いてしまう。これこそ最上級の演奏芸術であろう。(↓は同じ演奏かはわからない。音はよくないが、雰囲気は伝わるだろう。是非CDで聴くことをお薦めします。)


iPad mini の Music Tubee でギレリスのスカルラッティを聴きつつ、ベッドの上でゴロゴロしながらネット・サーフィン(死語)をするとか、何かすごいことになってきたなあ。自分の生活じゃないみたい。
井上陽水の「少年時代」っていい曲ですね。当り前か。ただ、バックのオーケストラの編曲があまりよくないと思う。そこがちょっと残念。

佐々木克『幕末史』読了(電子書籍版)。元々教科書の幕末史では、開国論を唱える無能な幕府を、尊皇攘夷を掲げる薩長が、朝廷とともに討伐したというような大筋だったと思う。しかしこのところの学問的潮流としては、素人判断なので間違っているかも知れないが、幕府はかなりの情報をもっていて、それなりに優れた対応をしており、一方で孝明天皇を中心とする朝廷は、碌な政治的能力もないのにことさらに問題を大きくした、そんな感じではなかったろうか。また、坂本龍馬などのいわゆる「維新の志士」たちの貢献を、かなり低めに見る傾向だったと思う。そこで本書を読んだのだが、最近の潮流に従わないところが多数あるように自分には思われ、かなりの抵抗感があった。特に孝明天皇の能力を相当に評価し、朝廷の記述を多くして、幕府を低く評価しているところは、本当だろうかと注意深く読まざるを得なかった。たぶん本書でいちばんラディカルなのは、「攘夷」という言葉の使われ方に関する議論だろう。著者に拠れば、「攘夷」というのは単に外国に対して武力で立ち向かうという意味ばかりでなく、不平等条約の破棄(「破約攘夷」)を意味する場合が少なくない、ということである。例えば、孝明天皇の本心は外国と戦争をすることにはなく、あくまで「破約攘夷」であったのだと。この説は正直言って最初は受け入れられなかったのだが、丹念な記述を読んでいると、どうも疑いにくいと認めざるを得なかった。また本書の主張に、当時のキープレイヤーで、「倒幕」を積極的に唱えている人物は、薩長含めてほぼ皆無であったというのもある。薩長、とりわけ西郷や大久保が倒幕を意識するようになったのは、第二次長州征伐のあと、徳川慶喜が朝廷を牛耳り、幕府も朝廷もまったく事態を解決する能力を失うということになってから、一体化した幕府と朝廷を見限って以降のことであるというのだ。これも挑戦的な主張であるが、どうも自分は受け入れざるを得ないような気がする。それでも、大政奉還をした徳川慶喜も含めた上での新政府の樹立が、最初は意図されていたくらいなのである。
 それ以外、大雑把な感想を述べると、本書は記述が(新書の範囲で可能なかぎり)細かく、幕末史の大変な複雑さを痛感させられる。ストレートな展開が少なく、実際に事態はてんやわんやの混乱を示していたようで、よくもこれで維新が最終的に上手くいったものだと驚かされた。そして、「志士」たちの個人的な能力の関与も少なくなく、それはこの混乱ぶりが却って証明しているようなものである。それだけの能力がなければ、この紛糾は解決されなかったであろうというわけだ。だから、本書では坂本龍馬もちゃんと活躍します。それから、人物評価も独特で、例えば「四賢侯」(島津久光松平春嶽山内容堂伊達宗城)が高く評価され、徳川慶喜などは(能力は別として)どこか腹黒いところがあるように書かれている。しかし放言とは思えず、記述を読んでいると納得がいくように思われた。
 そして、意外の感があるかも知れないが、「廃藩置県」というのは、こここそがクリティカル・ポイントであったということである。これは封建制度が近代国家に移行した瞬間であり、ここで日本に実質的な混乱が一切なく、これが平和的になされたのは、まさしく明治維新が偉大であった証拠である。その混乱のなさは、「廃藩置県」が重要事であったことを忘却せしめるほどであった。
 以上、すべて素人判断である。とても難渋する読書ではあったが、もしかすると本書は偉大な歴史書なのかも知れない。読後感は充実したものであったと、付言しておこう。それにしても、幕末・明治維新史は、感動なくしては読めない。我々の先達は、大変なことを成し遂げたものであると。

幕末史 (ちくま新書)

幕末史 (ちくま新書)