西脇順三郎『ボードレールと私』/堤未果『アメリカから<自由>が消える』

晴。急に寒くなってきた。十二月並み?
音楽を聴く。■ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ ニ短調HWV359a(マンゼ、エガー、参照)。■メンデルスゾーンヘブリディーズ諸島op.26、交響曲第三番op.56(ガーディナー参照)。モダン楽器のオーケストラを指揮しているガーディナー。まあまあ。LSOだから今ひとつなのかなあ。

図書館から借りてきた、西脇順三郎ボードレールと私』読了。詩論集。西脇順三郎は、振幅の大きい詩人ではない。本書を読んでも、色々と小難しいことを言っているが、結局はボードレールであり、マラルメであり、ポーであり、ランボーである。「ラール・プール・ラール」(芸術のための芸術)である。「人生派」排斥(えらくトルストイに噛み付いている)の、高踏を気取った西欧かぶれの詩人のバックボーンとして、あまりにもわかりやすくはないだろうか。もちろん、西脇順三郎はたぶんすごい詩人なんですよ(俺は何様だろう)。もうだいぶ前に読んだので、ほとんど忘れたが。ただ、本書はどうでもいいかというと、やはりそうではない。眠気を我慢して読んでいたら、個人的に得るところはあった。高踏は高踏なりに、使用価値はある。詩のわからない、へっぽこの云うことですけれど。本当に何様ですね。

ボードレールと私 (講談社文芸文庫)

ボードレールと私 (講談社文芸文庫)

堤未果アメリカから<自由>が消える』読了(電子書籍版)。偶々アマゾンで堤未果さんの本を調べていたら、本書を見つけたのでDLしてみた。興味深い内容で、一気読み。「テロとの戦い」と云われるようになってから、アメリカが急速に恐るべき監視社会、一種の全体主義国家と化していったことをレポートしている。暴力をちらつかせた、「恐怖」による統制…。アメリカ政府は最近でも香港の学生運動に関し、中国政府に人権を守るよう注文をつけているくらいであるが、本書を読むと、どの面下げてそういうことが云えるのか、正気を疑わざるを得ない。そして、「愛国者法」…。いったい「愛国者」って何なのか。国家というものは必ずしも国民の安全と幸福を守るとは限らず、国家独自の論理で動くという自分の持論を再確認したが、こう言うことすら「愛国者」ではないと云われかねない時代になったということだ。まあ、詳しい内容はアマゾンのレビューでも参考にして頂きたい。蛇足しておけば、日本も急速に監視社会化しているのは同じことである。ただ日本はいまは戦争をしていないので、その一点でアメリカほどではないということだろう。戦争状態になれば、こんなものでは済むまい。
 自分は堤未果氏の本には多くを教えられるといつも実感するが、我が国の知識人で堤未果氏を推奨する人を殆ど知らない。たぶん、堤氏の言うことはわかりやす過ぎ、また事の一面を強調しすぎるというようなことで、知識人の読むものではないと判断しているのであろう。しかし自分は一市民として、これからも堤氏を読んでいくのではないか。新刊新書もあるようなので、それも読んでみたく思っている。出来れば、電子書籍でももっと出して頂けるとありがたい。新書というジャンルは、電子書籍に合っていると思うので。
アメリカから〈自由〉が消える (扶桑社新書)

アメリカから〈自由〉が消える (扶桑社新書)