高橋源一郎『国民のコトバ』

曇。夜雨。
うどん「恵那」にて昼食。天ぷら蕎麦を食したら、まださすがに暑かった。寒くなってきてはいるけれどね。

音楽を聴く。■モーツァルト弦楽四重奏曲第十五番K.421(ターリヒQ、参照)。名曲。
図書館から借りてきた、高橋源一郎『国民のコトバ』読了。今あんまりいい気分でないので、じつに楽しくて笑った本書の感想を書くのに相応しくないのが残念である。しかし、どうして源一郎さんは同業者にこれほど悪口を書かれるのかねえ。まあ、たぶん源一郎さんがあんまりバカバカしくも偉大なのに、ついていけないのだろう。「萌えな」ことばも「官能小説な」ことばも「相田みつをな」ことばも、誰かが考察しておかないといけないのだが、これができるのは源一郎さんだけだ(萌えはそうでもないか?)。「洋次郎(石坂洋次郎のことです)な」ことばも「ゼクシィ(セクシィではありません)な」ことばも、もちろんだ。どの考察も一見「バカバカしい」のだが、じつに穿っている。掘り下げていると云ってもいい。そういうインテリなところが、洗練された御仁には「野暮ったく」見えるのだろうが、そこも自分は好きだ。やっぱり実力者は直球勝負でしょう。それができる人は少ないのである。書評ならここで本文の引用などが必要なのだろうが、もちろん面倒なのでしない。決して肩の凝るような本ではないので、安心してください。笑って読めて、役にまで立ってしまいます。そして、じつは(感動して)少し泣けるくらい。この実力者を読むべし。

国民のコトバ

国民のコトバ