関川夏央『文学は、例えばこう読む』/ウエルベック『ランサローテ島』/三角寛『山窩奇談』

曇時々雨。
音楽を聴く。■ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第四番op.58(ピリス、ハーディング、参照)。やはりピリスを聴かねばならぬことを痛感させられる。■ユンディ・リを聴く。顔がキムタクだし、人気のあるピアニストであるが、自分は初めて。曲はプロコフィエフのピアノ協奏曲第二番と、ラヴェルのピアノ協奏曲(指揮は小澤征爾)。まずプロコフィエフは、文句なしにおもしろい。ヴィルトゥオーゾ的なカッチリした音で、切れ味も鋭い。現代的な感性を、上手く発揮させていると思う。ライブ録音で、聴衆が喜ぶ筈だ。これよりは、ラヴェルはちょっと落ちる。情感の表現が物足りない。どうしても小澤征爾の方に耳がいってしまう。第二楽章の冒頭のソロなど、ピアニストによってはここで泣かせるのであるが、ユンディ・リは弾いているだけ。ただ、全体的に、リズムが正確で気持ちがいい。おそらくピアニスティックな曲が合うピアニストだろう。逆に、モーツァルトベートーヴェンなどでは、どうであろうか。いずれにせよ、明らかに個性と才能のあるピアニストだ。

Piano Cto 2 / Piano Cto in G Major

Piano Cto 2 / Piano Cto in G Major

ショパンマズルカop.30, op.33(フランソワ)。■バッハ:ハープシコード協奏曲第三番BWV1054(ルセ、ホグウッド、参照)。

図書館。
図書館から借りてきた、関川夏央『文学は、例えばこう読む』読了。著者はよく文庫解説を書かれていて、それらから選んだものを纏めた本である。本書のあとがきで、近年の文庫解説の質の低下を指摘してあるが、さすがに本書は読ませる。芸があるとも云えるだろう。もちろん、当ブログの質の低い読書感想文などとは、わけがちがう。プロの仕事だ。
 本書は、どことなくさみしい本でもある。冒頭に「やがて本は姿を消し書籍収集文化もすたれる」とあるとおり、著者は現代日本の現状を、悲観的に見てあきらめているような感じがするところがある。大読書家でもある著者には、さもあらん。しかし、それでも若い世代は登場するし、彼ら彼女らをバカにすることはできない。願わくば、若い世代が関川夏央などを読むようになると、もっといいと思われてならないのだが。図書館から借りてきた、ミシェル・ウエルベックランサローテ島』読了。ウエルベックは挑発的な作家だ。非常に知的であり、しかも即物的にエロい。だいたい、こんなエロい本がすまして図書館に入っているというのが、どことなく笑える話ではないか。本書には、著者自身によるランサローテ島の写真が多数収められていて、それらがまたSFチックだ。性だけでなく、ここには新興宗教もあって、ウエルベックがどういう方向からこれへ近づいているのか、本書だけではわかりにくい。訳者に拠れば、著者はまったくの無神論者であり、宗教は「観察可能なもっとも大規模な社会学的事実」であるということから、小説家として興味の対象であるというわけらしい。いずれにせよ、現代の小説家らしい小説家なのであろう。三角寛山窩奇談』読了。山窩に関しては以前から興味がなくもなかったので、文庫化されたのを期に読んでみた。文庫の惹句には「取材実録」とあるが、明らかにフィクションであり、文庫解説の今井照容もそう述べている。そして、フィクションとしてもあまり程度の高いものではない。ちょっとがっかりしたが、山窩というのは、三角寛の創作であるとも断定できないらしい(もっとも、このあたりのことはよく知らない)。正直言って、小説としてもあまりおもしろくなかった。
山窩奇談 (河出文庫)

山窩奇談 (河出文庫)


マイルス・デイヴィスを聴く。
Four & More

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