スティーヴンスン『南海千一夜物語』/笙野頼子『だいにっほん、おんたこめいわく史』

晴。台風一過。
音楽を聴く。■シューベルト即興曲集op.142、ピアノ・ソナタ イ長調D664(ケンプ、参照)。美しい。■ハイドン:ディヴェルティメントHob.XIV:4、Hob.XIV:3、Hob.XIV:7(パルンボ)。

Complete Piano Concertos 4

Complete Piano Concertos 4


ティーヴンスン『南海千一夜物語』読了。短篇集。「ファレサアの浜」以外の、「瓶の妖鬼」「声のする島」は以前読んだことがある。たぶん古典新訳文庫版ではなかったか。その瓶を持つと何でも願いが叶うが、買ったよりも安い値段で手放さねばならず、そして死ぬときに所有していると地獄に落ちるという話の「瓶の妖鬼」は、とても印象的でよく覚えていた。とにかくどれも、お話としておもしろい。どちらかと云えば、この古い岩波文庫版よりは、新訳を薦めたい。
※追記 古典新訳文庫ではなくて、岩波文庫の新訳だったようだ(参照)。
南海千一夜物語 (岩波文庫)

南海千一夜物語 (岩波文庫)

図書館から借りてきた、笙野頼子『だいにっほん、おんたこめいわく史』読了。いやー、あんまり文庫化されないものだから、図書館で借りてしまったよ。しかし、さすがは笙野、わけのわからなさぶりに磨きがかかっている。しかし、本書はどう見ても個人的妄想(あるいはそれと受け取られるようなところのもの)ではないね。集合的無意識レヴェルの話になっている。それにしてもおんたこ批判、厳しいですな。こう言われると、自分もおんたこかとも思われ、素直でナイーブな自分は反省させられる。しかし、柄谷行人がおんたこなのはわからないでもないが(「正しい抵抗勢力」としての柄谷批判、厳しいです)、吉本隆明もそうかなあ。自分はちょっとちがうと思うのだが。それから、現代日本の、これはわかりやすい(が、決して放置できないであろうところの)ロリ(コン)やペド(フィリア)批判。しかしこれも、批判は簡単なのだが、どうしてそのような欲望が避けられないかは、さすがにそこまで笙野の批判は届いておらず、これは甘いと思う。ただキモチワルイだけではダメでしょう。
 と、普通の小説っぽく感想文を書いたが、実際はぶっとんでいて、これも故・丸谷才一氏なら、読む時間のムダということになるのかも知れない(いや、そう仰っていたわけではないですよ)。無意識垂れ流しで、こういう書き方は、肉を斬らせて骨を断つみたいなものだと思う。誰でもできるわけではないし、だいたい普通はその勇気が出ないでしょう。著者は恐ろしい人だと思う。なお、本作は三部作の第一作ということで、続編も読んでみようと思っています。
だいにっほん、おんたこめいわく史

だいにっほん、おんたこめいわく史