室生犀星訳『現代語訳 蜻蛉日記』

曇。
音楽を聴く。■バッハ:フランス組曲第二番、第三番、第四番(ルセ、参照)。これ、すごくいい。特に短調の曲の方がいいような気がする。ただ、もっと聴いていたいのに、繰り返しが少なくて、あっという間に終ってしまうのが残念なくらい。■ブラームス:ピアノ協奏曲第一番op.15(アンスネス、ラトル)。真面目な演奏だ。もっと狂気というか、感覚的魅力があるともっといいのだが。ただ、きっちり弾かれているし、いいところもあると思う。終楽章がいちばんかな。アンスネスには期待しているのだ。なお、ラトルの指揮は申し分なし。

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

■併録のブラームス:間奏曲集op.117(アンスネス)を聴く。素っ気ないほどクソ真面目な演奏。しかし、第二番など、こんなにデリカシーなく、無造作に弾かれていいものだろうか。なんだかがっかり。

室生犀星訳『現代語訳 蜻蛉日記』読了。素朴なことを書くけれども、本書の内容はというと、夫が通ってこないので、つらい、さみしい、悲しいというのが延々と続くのだ。本当にそればっかりなのだよ。そして、ひどく恨みがましく、プライドが高い女なので、素直になれない。はっきり云って、著者の性格はきつくて、扱いにくい女なのだと思われる。夫はのちに関白にまでなる大政治家・藤原兼家なのだが、この人はやはり度量が大きいね。散々恨みつらみを言われても、またずっと女を放っておいても、平然とやってきたりする。普通は(?)ここまでされると、愛情は他へ移っていくのが自然だと思うのだが、というか、実際そういうところもあるだろうけれど、兼家は関係を断ってしまわないのだ。甲斐性があるなあと、こちらも嘆息しそうである。って著者のことはあまり同情的に書かなかったけれど、兼家が頻繁にやってくるときは、こちらも読んでいてホッとする。あとは、息子の道綱の成長物語と、引き取った養女(じつは兼家が他の女に産ませた子)の結婚話。でもまあ、著者の道綱母も、夫のことが切り捨てられないからこそ、これだけ悩むのだろうなあ。一〇〇〇年以上前でも、人間のやっていることは同じなわけだ。さても、現代の若い女性がこの古典をどう読むか、これには興味がないでもないね。
 それから、犀星の訳文のすばらしさについては、これは喋喋しなくてもいいでしょう。読みやすさと格調の高さを両立させている。
現代語訳 蜻蛉日記 (岩波現代文庫)

現代語訳 蜻蛉日記 (岩波現代文庫)