石光真人編著『ある明治人の記録』

晴。夕方からしょぼしょぼ降る。
音楽を聴く。■ベートーヴェン:二つのオーボエ、二つのクラリネット、二つのホルン、二つのバスーンとダブル・バスのための八重奏曲op.103、二つのオーボエイングリッシュ・ホルンのための三重奏曲op.87、ロンディーノWoO25(コンソルティウム・クラシクム)。シブいですな。

Beethoven: Chamber Music Vol.3

Beethoven: Chamber Music Vol.3

■バッハ:管弦楽組曲第四番(カール・リヒター参照)。

県図書館。
石光真人編著『ある明治人の記録』読了。副題「会津人柴五郎の遺書」。柴五郎は幕末の会津の武士の家に生を受け、幼くして戊辰戦争を経験した。その時、祖母や母、果ては幼い妹までも自害して失い、父や兄たちとも散り散りになっている。維新後は、斗南藩に移住させられた旧会津藩の武士たちと共に、極貧の辛酸を嘗める生活で(というのは誇張でも何でもなく、この形容すら生ぬるいほどだ)、恥辱を雪ぐためだけに耐え続けた。しかし、あるきっかけで極貧の生活からは免れ、陸軍幼年学校に入ることで、人生が変っていく。「遺書」は最後、西南戦争の時点で終わる。とにかく、驚くべき記録である。記述は文語体であり、密度は大変に高く、こちらの感情をとても揺さぶられた。感想は陳腐なものになるが、戦争の悲惨さと、維新の凄惨さと、武士の誇りというものに打たれざるを得ない。何とも言いようのない気分にさせられる。
 編者の父親である石光真清と柴五郎は親しい間柄であったらしく、編者と柴五郎も親しかったようで、その関係でこの「遺書」に接する機会があったらしい。柴五郎は最終的に陸軍大将にまで登りつめるらしいが、飾らない謙虚な人柄であったという。太平洋戦争については、柴五郎は始めからこの戦は負けだと静かに言い続けていたとのこと。一読して、かつてはこうした日本人もいたのだということに、これも何とも言えないような気にさせられる。時代は変ったと、そうして片付けてしまって、いいものなのであろうか。自分などからして、到底及ぶものではない。
ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))

ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))


自分の守備範囲外なので、こんなことは言いたくないのだが。STAP細胞の小保方さんについてのマスコミの報道だが、そのバッシングぶりは常軌を逸しているとしか思えない。理研が小保方さんも参加させて実験をやると言っているのだから、それで小保方さんが詐欺師かどうか、すべてがわかるだろう。下らないバッシングは必要ない。少なくとも、某若山教授の発言などは、仮に正しかろうが仁義に悖っているのは明らかで、じつに不愉快である。小保方さんも、若山教授の人間性を見抜けなかったところは確かに過ちだったろう。それにしても、科学科学とうるさいことである。世界の最先端の研究者は、多かれ少なかれ「肉食動物」であるに決っている。わずかな油断が命取りになる、生き馬の目を抜くような厳しい世界なのだ。小保方さんを叩いているのを見ると、大学教授だか何だか知らないが、日本で世界最先端の研究をやっている研究者が、いったいどれだけいるのだと、云いたくなる。まあ、そんなことは自分にはどうでもいいが。小保方さんが仮に詐欺師であっても、今のバッシングはまともな神経を持った人間のやることではない。そんなことをして、日本の科学が強くなるとでも思ったら、大間違いである。そうしたければ、「肉食動物」的な研究者でも、存在していけるような研究風土を作るしかないであろう。今回の事件でもわかるように、日本の研究風土は、優秀な研究者に対して妬みによる陰湿な陰口、村八分、或いはイジメが多すぎる。いや、ホントにどうでもいいが。